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「オメガ3脂肪酸」由来代謝物が難病肺高血圧症の病態を調節する機構を解明 守山英則、遠藤仁(循環器内科)

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研究の背景

肺高血圧症は、原因不明の肺動脈狭窄から、血液を送り出す右心室に負担がかかり心不全を来す病気です。いまだ病態のメカニズムが解明されておらず、治療手段の乏しい難病の一つとされています。現在、肺血管を広げて肺動脈圧を下げる薬が臨床で使われていますが、病気の根本的な原因を治療できる薬はまだありません。

肺高血圧症は、従来、肺動脈を形成する内皮細胞や平滑筋細胞の異常が主要な発症機構として研究されてきましたが、近年、肺血管周囲の炎症細胞や線維芽細胞などの病的な活性化も肺高血圧の進行に影響を及ぼす重要なバイプレーヤーとして注目を集めています。全身の組織は、細胞同士が様々な物質をやり取りすることで機能や形を保ちますが、肺血管においては炎症細胞が特殊な脂質を使って周囲の細胞をコントロールすることが知られています。

一方、EPAやDHAに代表される「魚の油」に含まれるオメガ3脂肪酸は心臓を含む様々な臓器に対する保護作用を示すことが知られており、その代謝物の中には病的な組織変化を抑える強い活性をもつ物質も報告されています。そこで私たちは、このオメガ3脂肪酸とその代謝物が、肺高血圧症の病態に関連するか研究を行いました。

研究の概要

私たちは、リピドミクス解析(注1)で、肺高血圧症の肺組織に含まれる数百種類に及ぶ脂質を同時に測定し、オメガ3脂肪酸の代謝物の一つ、エポキシ化オメガ3脂肪酸が肺高血圧症の悪化にともなって減少することを発見しました。エポキシ化オメガ3脂肪酸は、オメガ3脂肪酸の二重結合が三員環エーテル構造をとった特殊な代謝物で、リン脂質分解酵素PAF-AH2によって産生され、血管拡張、抗炎症作用、細胞増殖抑制、抗不整脈作用などの機能をもつことが知られています。

全身のPAF-AH2を遺伝学的に喪失させたマウス(KOマウス)を低酸素環境で飼育し肺高血圧を誘導したところ、PAF-AH2 KOマウスの肺高血圧が対照群に比べ重症化したため、PAF-AH2は肺高血圧症の悪化を抑える働きがあることが示唆されました。PAF-AH2は肺組織中の炎症細胞の一つである肥満細胞に強く発現しており、肥満細胞は肺高血圧症において肺動脈周囲に集積しています。肥満細胞のPAF-AH2を実験的に欠失させると、全身のKOマウスと同様に肺高血圧症の悪化を認めたため、肥満細胞のPAF-AH2が重要であることが分かりました。また私たちは、PAF-AH2によって産生されるエポキシ化オメガ3脂肪酸を培養細胞あるいはマウスに投与することで、この脂質がTGF-βシグナルを介して肺線維芽細胞の活性化を抑え、肺血管の病的な組織変化および右心不全の改善をもたらすことを明らかにしました。その効果は、様々な肺高血圧症の動物モデルにおいても実証され、治療薬としてのポテンシャルが確認されました(図1)。

図1

図1
肥満細胞のPAF-AH2が産生するエポキシ化オメガ3脂肪酸が肺線維芽細胞の異常活性化を抑え、肺高血圧の進行抑制に寄与する。

さらに私たちは、262名の肺高血圧症患者さんの遺伝子情報(全エクソーム解析:注2)を解析し、Pafah2遺伝子の中に疾患と関連性がある遺伝子変化(変異)を2か所同定しました。これらの変異をもつPAF-AH2蛋白質は、アミノ酸配列の変化が起きている部位から少し離れた蛋白質の構造に変化が起きていました。この構造変化によって、蛋白自体の安定性が低下し容易に分解されてしまうため、十分な蛋白量を維持できないことも分かりました(図2)。

図2.PAF-AH2変異蛋白の3次元構造のシミュレーション

図2.PAF-AH2変異蛋白の3次元構造のシミュレーション

研究の成果と意義・今後の展開

私たちは、肥満細胞がオメガ3脂肪酸代謝物の一つ、エポキシ化オメガ3脂肪酸を産生し、肺血管の異常な線維化を抑えることを明らかにしました。さらに、このエポキシ化オメガ3脂肪酸の産生酵素であるPAF-AH2が、難病の肺高血圧症と深く関連することを動物実験や患者のゲノム情報から明らかにし、この脂質の補充投与が肺高血圧症を改善させる治療手段となりうることを示しました(図1, 2)。

この研究成果をもとに、今後、エポキシ化オメガ3脂肪酸や産生酵素PAF-AH2を活用した肺高血圧治療薬が新たに創出されることが期待されます。また、本研究で明らかとなったPAF-AH2の病的遺伝子変異の情報をもとに、肺高血圧症の臨床経過や治療反応性を予測する、先行的なプレシジョン・メディシンへの応用も期待されます。

【用語解説】

(注1)リピドミクス解析
リピドミクスは、高速液体クロマトグラフィーと質量分析器を組み合わせた測定方法で、生体内に存在する様々なリン脂質、中性脂質、脂肪酸およびその酸化物を高感度に同時に測定する。本研究では、三連四重極型質量分析を用いたMultiple Reaction Monitoring(MRM)と呼ばれる分析法で測定を行った。

(注2)全エクソーム解析
次世代シークエンサーを用いて、ヒトの大型ゲノムについて、蛋白をコードしているエクソン領域を取り出して塩基配列を決定する解析方法。本研究では、肺高血圧症患者262名の全エクソーム解析データを用いてPafah2遺伝子の変異を探索した。

参考文献

Omega-3 fatty acid epoxides produced by PAF-AH2 in mast cells regulate pulmonary vascular remodeling.
Moriyama H, Endo J, Kataoka M, Shimanaka Y, Kono N, Sugiura Y, Goto S, Kitakata H, Hiraide T, Yoshida N, Isobe S, Yamamoto T, Shirakawa K, Anzai A, Katsumata Y, Suematsu M, Kosaki K, Fukuda K, Arai H, Sano M.
Nat Commun. 2022 May 31;13(1):3013. doi: 10.1038/s41467-022-30621-z.

左より:守山英則(循環器内科学教室共同研究員)、遠藤仁(同専任講師)

最終更新日:2022年12月1日
記事作成日:2022年12月1日

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