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福澤諭吉が残した『贈医(医に贈る)』という言葉

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『慶應義塾の創立者』である福澤諭吉翁(図1)は日本の文明開化の精神的支柱を打ち立て、『学問のすすめ』等の多くの著作や多くの言葉を残しました。慶應義塾医学部を設立した北里柴三郎博士(初代医学部長:図2)が伝染病研究所の設立に尽力した時に、福澤翁は北里博士に『贈医(医に贈る)』と命名した七言絶句の漢詩(図3)を贈っております。

図1

図1:福澤諭吉像 

図2

図2:北里柴三郎像

(図1~3の画像提供:福澤研究センター)

『贈医(医に贈る)』

   図3:贈医の七言絶句


その意味は概略すると以下のようになります。

「医学というものは自然と人間(天また人)との限りない知恵くらべ(輸贏)の記録のようなものである。医師よ、自分たちは自然の家来に過ぎないなどと言ってくれるな。離婁のようなすばらしい眼力と麻姑のような行きとどいた手をもって、あらゆる手段を尽くしてこそはじめてそこに医業の真諦が生まれるのである。」

【解説】

図5

図4:麻姑(まこ)
(画像提供:麗澤大学金丸良子研究室)

「輸贏(しゅえい)」とは、戦い・勝負の勝ちと負けのこと。(ゆえい)とも読みます。
「離婁(りろう)」というのは古代中国の仙人で伝説的な視力の持ち主の名前で、黄帝が珠を失った時、命を受けてこれを探したと言われています。婁(ろう)は婦人の髪を高く巻きあげた形を意味し、百歩離れたところから毛の先が見えるほど視力がよかったと伝えられています。「離婁の明(りろうのめい)」とは視力・眼力のすぐれていることのたとえとして用いられます。

「麻姑(まこ)」(図4)も古代中国の故事に出てくる仙女で、手の爪が猛禽の鳥のように長くとがっていて神業の如く器用であったと伝えられています。この麻姑の爪を見てある男が、「背中が痒いとき、あんな爪で掻いてもらったら、さぞ気持ちがいいだろうなぁ」と思った故事から、「麻姑掻痒(まこそうよう):物事が思いどおりになること。」という四字熟語ができました。「孫の手」は「麻姑の手」の訛ったものであると言われております。ここでは「手練の人」すなわち熟達した技術を持った人を指していると言われております。

慶應義塾が目指す医師像

我々慶應義塾大学病院で働くものは福澤翁が残された言葉の意味を自分自身の心の中に常に問い掛けながら、医学・医療を見つめております。そして、この贈医という言葉から我々は以下のような医師像を持ち、若手医師の教育に当たっております。『もともと人間には有る程度の自然治癒する能力が備わっている。しかし、医師というものはこの消極的に患者さんが治癒するのを傍観し、自分は自然(治癒力)の下僕であるなどと言ってはならない。患者さんを治療するのは自然と人間の無限の戦いであり、離婁(りろう)のような鋭い洞察力、着眼力で病気を見つめ、麻姑の手のような熟達し神業のような技量でもって病気を追い詰め治療をしなければならない。医療の神髄とはこうした洞察力、着眼力と卓越した技量を追い求め、常に修練してゆくことであるのだ。』と言うものであります。

慶應義塾の6年間に医学教育はただ知識を押し込み教育するのではなく、日本の医学のトップレベルの教育者、研究者や外国からの最先端の医学研究者を学内に招き、多くの講演を御願いしたり、学生が最先端の医学・医療技術に当たり前のように触れる環境を整えるところから始まっております。そして、福澤翁の『贈医』の言葉にあるような医師像を目標に高い志を目指す教育を行っております。


贈医奨学金へのご寄付のお願いをご覧ください。

最終更新日:2011年12月28日

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