バルプロ酸への胎内曝露が胎児の大脳皮質形成を障害する 藤村公乃(小児科)
抗てんかん薬バルプロ酸とは
てんかんは一生涯のうち、約100人に1人が発症する非常に頻度が高い慢性神経疾患の1つであり、多くの場合、治療のために抗てんかん薬を内服します。小児期に発症したてんかんについては、約7割の患者さんが治癒し、良好な経過を経ますが、一部の患者さんではてんかん発作が持続するため、生涯にわたって抗てんかん薬の内服を継続する必要があります。その際、妊娠される可能性の高い女性では、お母さんが内服した抗てんかん薬が胎盤を経て胎児に移行することによる影響を考えて抗てんかん薬を選ぶことが重要であると、近年様々な研究から指摘されています。
バルプロ酸は国内で広く使用される治療効果が高い抗てんかん薬です。一方、妊娠中にお母さんが内服した場合、量によっては生まれた子どもに中枢神経の先天奇形である神経管閉鎖障害をはじめとする様々な先天奇形や、生後の知能指数の低下、自閉症などの発達障害が発症する危険性が増えることが海外の研究で報告されていました。このことから、胎児がバルプロ酸に曝されることにより、大脳が形作られる過程が障害されている可能性が予想されました。
また、バルプロ酸は抗てんかん作用に加えて、生命の設計図である遺伝子を制御する酵素(ヒストン脱アセチル化酵素)の働きを妨げることが知られています。ヒストン脱アセチル化酵素は胎児期においても働くため、バルプロ酸が生じる先天奇形や高次脳機能障害についてはバルプロ酸がもつヒストン脱アセチル化酵素の働きを妨げる作用が原因である可能性が考えられました。
マウスの大脳皮質が形成される過程
学習、思考、判断など脳の高次機能を司る大脳皮質は、胎生期から生後にかけて1)神経細胞のもととなる細胞(神経幹細胞;注1)から神経細胞が作られる過程、2)大脳皮質の表面側への移動過程、3)神経細胞同士が連結、不要な細胞を除去するなどの成熟過程、の3段階を経て完成します。この第1段階目である大脳皮質の神経細胞の産生は、マウスの場合、約19日間の妊娠期間のうち妊娠11-17日頃に生じます(図1)。
図1.胎児の脳室帯において神経幹細胞が細胞分裂し、神経細胞を産生する過程についての概念図
バルプロ酸による大脳皮質の形成異常の概要
本研究では、実際にヒトで行われるてんかん治療に似せて実験するため、妊娠マウスに比較的少ない量のバルプロ酸を飲み水に加えて妊娠全期間にわたり投与しました。
その結果、バルプロ酸を投与した母マウスから生まれたマウスでは大脳皮質の表面側に分布する神経細胞数が増加し、その結果、大脳皮質の厚さも増加することが判明しました。大脳皮質表面側の神経細胞は胎生16日頃に産生されることが知られており、実際、胎児期にバルプロ酸に曝されたマウスでは胎生16日に産生される神経細胞の数が2倍以上に増加していました。
バルプロ酸が神経幹細胞の分裂を障害する
バルプロ酸への胎内曝露が大脳皮質の形成過程を障害する機序を解明するため、私たちは神経幹細胞の分裂の様子を解析しました。その結果、神経幹細胞が分裂して産生される細胞が神経細胞となる確率、すなわち分化誘導の確率(Q値;注2)がバルプロ酸に曝された胎児で減少することが明らかとなりました。Q値は神経細胞が作られる数や脳の大きさを規定する重要な因子であり、Q値の減少は神経幹細胞の数の増加、ひいては最終的に産生される神経細胞の数の増加を意味します。したがって、胎児期にバルプロ酸へ曝されたことで神経幹細胞のQ値が減少した結果、大脳皮質の神経細胞数の増加と肥厚化が生じたと考えられました。
さらに、バルプロ酸に曝された胎児の神経幹細胞では、細胞分裂を調節する複数のタンパク質が増加すること、ヒストンタンパクが正常と比較してアセチル化された状態であったこと、などが明らかとなりました。これらの結果は、バルプロ酸が神経幹細胞のヒストン脱アセチル化酵素の働きを妨げた結果、細胞分裂の調節に異常が生じ、Q値の減少がもたらされたことを示唆します。
おわりに
胎児期に生じる大脳皮質の形成異常については、未解明な点が多いのが現状です。本研究では、特定の薬物曝露といった子宮内環境の異常が胎児の大脳皮質の形成過程に異常をきたす機序を解明しました。この研究成果は、将来的に神経組織の形成異常を予防したり、生じた形成異常を修復する方法を開発する上での土台となる知見と考えられます。
繰り返しになりますが、妊娠の可能性が高い女性のてんかん患者さんでは、胎児への影響がなるべく少ない抗てんかん薬を選択することが重要です。ただし、一部の患者さんでは本研究で取り上げたバルプロ酸の使用が不可欠なこともあります。その場合は、少量を使用することで胎児への影響を抑えられることが報告されていますので、まずは主治医にご相談下さい。
【用語解説】
(注1)神経幹細胞
自身のコピーを作ることができ(自己複製能)、神経細胞やグリア細胞などすべての神経系細胞を産生する能力(多分能)を持つ細胞。神経幹細胞は発生早期には分裂によって自身の複製を作り増殖しますが、マウスでは胎生11日頃からその一部が分裂を止め、神経細胞へと変化することが知られています。
(注2)分化誘導の確率(Q値)
神経幹細胞が分裂した結果、産生された細胞がそれ以上の分裂を止めて神経細胞となる確率。Q値は神経細胞の数や脳の大きさを規定する重要な因子です(図2)。
図2.神経幹細胞の分化誘導の確率(Q値)が変動した場合に、神経細胞の数と脳の大きさに与える影響
参考文献
In Utero Exposure to Valproic Acid Induces Neocortical Dysgenesis via Dysregulation of Neural Progenitor Cell Proliferation/Differentiation.
Fujimura K, Mitsuhashi T, Shibata S, Shimozato S, Takahashi T.
J Neurosci. 2016 Oct 19;36(42):10908-10919.
DOI:10.1523/JNEUROSCI.0229-16.2016
前列:高橋孝雄(小児科学教室教授)
後列左から:下郷幸子(小児科学教室非常勤医師)、筆者、芝田晋介(電子顕微鏡研究室専任講師)、三橋隆行(小児科学教室専任講師)
最終更新日:2017年5月1日
記事作成日:2017年5月1日
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