難聴に対する、薬剤を用いた内耳有毛細胞の再生医療
藤岡 正人(耳鼻咽喉科)
はじめに ~なぜ内耳性難聴に再生医療なのか~
外界の音を感じ、認識する "きこえ"=聴覚は、コミュニケーションの窓口としても重要な五感のひとつです。
ところが音の刺激を神経の電気信号に変換する蝸牛の有毛細胞は、ダメージを受けやすいうえに自発的な再生能力を持っていません。そのためにこの細胞の障害により難聴がおきてしまうと、機能は二度と改善しないため、再生医療によるアプローチが待ち望まれています。
さらに蝸牛有毛細胞が存在しているコルチ器という臓器では、有毛細胞は支持細胞という細胞に真下から支えられつつ、神経と接合する部位(シナプス)を作っており、この構造全体が外界音の入力にあわせて揺れることで有毛細胞が発火して脳の中枢に神経信号を伝えています。従って、治療の際には細胞レベルのみならず、この精緻な構造をも再生させなければなりません。
薬剤による内耳有毛細胞の再生療法の開発
そこで私たちは、有毛細胞に常に隣接して存在し、しかも有毛細胞より障害に対して強い耐性を持っている "支持細胞"にまず注目しました(下記左図)。母親の胎内にいる時期(胎生期)の内耳にあるコルチ器では、"ノッチ情報伝達系"というシグナルを出す細胞が有毛細胞に、シグナルを受ける細胞が支持細胞になり、このシグナルに対する阻害剤で有毛細胞が増えることが知られています。私たちはこの阻害剤によって、生き残った支持細胞を有毛細胞に分化誘導し、有毛細胞を再生させることができるのではないかと考えました。この方法であれば、消失した有毛細胞の部分に、その真下から細胞が供給されることを期待できます。
骨に囲まれた小さな臓器である蝸牛に十分な濃度の薬物を到達させることは技術的に困難を伴います。私たちはまず、マウス内耳由来の幹細胞を用いた評価系、コルチ器の器官培養系、そして有毛細胞が人為的に細胞死を起こすコルチ器の器官培養系を用いて、薬剤の候補を絞り込みむことを試みました。その結果LY411575という薬剤が、低濃度でも強力に、しかも正しい位置に有毛細胞を誘導することを見いだしました。残念ながらこの薬剤はとても副作用が強く、マウスに全身投与をすると有毛細胞数に効果をもたらす量では半数以上の個体が死んでしまいます。そこでハーバード大との国際共同研究により手術によって耳に直接薬物を投与する方法を試みたところ、副作用を避けながら有毛細胞数を増やし、難聴を軽減することに成功しました。(上図右)
この研究に用いた音響外傷モデルは過大音への曝露による難聴に相当する臨床に近いモデルですが、上部構造の障害を受けるのみで細胞死には至らない有毛細胞も生じるため、有毛細胞数をカウントするだけでは薬剤の効果を正確に評価できません。そこで遺伝子改変動物を用いてあらかじめ支持細胞をラベルしておくことで、実際に傷害を受ける前には支持細胞だった細胞が、薬剤投与により新たに有毛細胞に分化したことを証明しました。
この研究の意義と今後の課題
以上のようにノッチ情報伝達系の阻害剤を手術的に局所投与することにより、有毛細胞を再生させ聴力を改善させることに成功しました。難聴に対して薬剤を用いた再生医療としては、世界で最初の報告となります。
残念ながらこの薬剤だけでは効果が不十分であり、現時点で患者さんに用いるには時期尚早であると私たちは考えていますが、今回の研究結果はひとつの治療戦略を提示しています。すなわち難聴治療においては、支持細胞から有毛細胞への分化誘導を体内で直接行うことがひとつのよい治療法となりうるということです。この観点から私たちは、試験管内でさらに効率のよい有毛細胞誘導剤を探索していくことを現在進めています。
参考文献
Notch inhibition induces cochlear hair cell regeneration and recovery of hearing after acoustic trauma.
Mizutari K, Fujioka M, Hosoya M, Bramhall N, Okano HJ, Okano H, Edge AS.
Neuron. 2013 Jan 9;77(1):58-69. doi: 10.1016/j.neuron.
http://www.cell.com/neuron/retrieve/pii/S0896627312009531
左から細谷 誠、水足 邦雄、藤岡 正人
最終更新日:2013年9月4日
記事作成日:2013年9月4日
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