血漿アミノ酸プロファイルを用いたIBDバイオマーカーの確立
久松理一(消化器内科)
IBDのバイオマーカー確立を目指した新しい試み
炎症性腸疾患(inflammatory bowel disease; IBD)は消化管に慢性の炎症が生じる病気で狭義のIBDは潰瘍性大腸炎とクローン病に分類されます。どちらもまだ根本原因は解明されておらず特定疾患に指定されています。現在わが国の登録患者数は増加傾向にあり潰瘍性大腸炎で13万人、クローン病で3万人を超えており20歳代に患者が多いことから就学、就労など社会的にも大きな問題になりつつあります。炎症性腸疾患の診断は病歴、臨床症状と特徴的な消化管造影像や内視鏡像、および病理学的所見からなされます。消化管造影検査や内視鏡検査手技は以前と比べ大幅に改善され侵襲は少なくなったものの安易にスクリーニングとして行なえる検査とは言い難く、患者さん負担を考えると活動性の評価や治療評価のためとはいっても頻回に行なうことは適切ではありません。このように炎症性腸疾患の診療において診断および活動性指標となりうるバイオマーカーの開発は重大な課題として残されています。適切なバイオマーカーに必要な要素は1) 客観的であること、2) 普遍性、再現性があること、3) 侵襲性が低く安全な検査であること、4) 病態を反映したものであること、です。炎症性腸疾患のような遺伝的素因と環境因子が複雑に絡み合った疾患では単一の分子をバイオマーカーとするというのは困難です。このような背景から我々は炎症性腸疾患患者さんのアミノ酸代謝をモニタリングし診断や活動性の判断に役立てようというプロジェクトを開始しました。いわゆるメタボミクスの考え方です。人間の体内の約60%は水分で20%はタンパク質でできています。このタンパク質は約20種類のアミノ酸の組み合わせから作られています。アミノ酸代謝システムは体内の各臓器、各細胞によって異なっており、さらに糖代謝、脂質代謝などと密接に関係し複雑な代謝ネットワークを形成し恒常性が維持されています。また最近の研究から一部のアミノ酸は直接免疫系やシグナル伝達に関与することも明らかとなっています。
IBDでは血漿アミノ酸濃度プロファイルが変化している
我々は炎症性腸疾患患者さんにおける血漿アミノ酸およびその代謝物のプロファイルの解析を試みました。年齢・性別を合致させた健常人とクローン病および潰瘍性大腸炎患者さん各102名の空腹時血漿アミノ酸プロファイルを解析しました。その結果、健常人と炎症性腸疾患患者さんでは血漿アミノ酸のプロファイルが大きく異なっていることが明らかとなりました。例えばヒスチジンの血漿濃度は健常人と比較して潰瘍性大腸炎やクローン病患者さんにおいて有意に低下していました(図1)。特に活動期患者の血漿ヒスチジン濃度は低値を示し、血漿ヒスチジン濃度は患者の症状を主体とした臨床指標や血清CRP値などと負の相関を示すことが明らかとなりました。すでに我々はクローン病のモデルであるIL-10KOマウスの免疫細胞をSCIDマウスに移入した腸炎モデル(IL-10KO移入モデル)で経口でのヒスチジン投与が腸炎抑制効果を示すことを明らかにしていましたので(Andou A, Hisamatsu T, et al. Gastroenterology. 2009 Feb;136(2):564-74)、ヒトIBD患者さんにおいてもヒスチジンの病態への関与を示唆する結果として非常に興味深いものでした。血漿アミノ酸プロファイル解析からIBD患者さんではヒスチジンだけでなく、さまざまなアミノ酸代謝の変化が起こっていることが明らかになりました。そこでアミノ酸代謝全体を評価するほうがより病態を反映するのではないかと考え、各アミノ酸代謝変化の情報を統合し、そこで得られたプロファイルから数理プログラムによって二群間を判別する数式(アミノインデックス®)を確立しようと試みました(図2)。その結果、健常人と潰瘍性大腸炎患者あるいはクローン病患者を鑑別する数式を導くことが可能でした(図3)。興味深いのは健常人と鑑別するアミノインデックス®に現れてくる個々のアミノ酸が潰瘍性大腸炎とクローン病では異なっていたことです。それぞれの疾患における血漿アミノ酸の変化の違いは両疾患の病態の違いを反映している可能性があります。事実、潰瘍性大腸炎とクローン病を比較したところ両疾患を鑑別するアミノインデックス®を導くことも可能でした。このように炎症性腸疾患患者では特有のアミノ酸代謝のインバランスが存在している可能性が示されました。鑑別困難な症例をアミノ酸代謝の視点からどちらの疾患により近いかを推測することなどが可能になると考えられます。
図1 炎症性腸疾患患者では血漿ヒスチジン濃度が低下している
図2 アミノインデックス®の概念
図3 健常人と潰瘍性大腸炎患者を判別するアミノインデックス®
疾患活動性指標としてのアミノインデックス®
実際の臨床の場で健常人と炎症性腸疾患をアミノインデックス®を用いて鑑別することには大きなニーズはありません。むしろアミノインデックス®に期待されるのは疾患の活動性を評価し治療効果の判定や再燃(病勢が再び強くなって疾患活動性が上がること)の予測に使用できないかという点にあります。先に述べたように個々の患者さんの状態を追跡できる炎症性腸疾患特異的なバイオマーカーというのはまだ発見されていません。そこで我々はアミノインデックス®によって疾患活動性が評価できるかどうかを検討しました。その結果、潰瘍性大腸炎とクローン病それぞれにおいて活動期と寛解期を区別するアミノインデックス®を導くことに成功しました(図4)。さらに、同一患者さんの治療経過においてこのアミノインデックス®が臨床経過のパラメーターとして有効である可能性があることもわかってきました。現在は再燃を寛解期(病勢がおとなしい状態)のアミノ酸プロファイルから予測できないか臨床研究を行っています。もし寛解期に将来の再燃リスク群が末梢血のアミノ酸採血で予想することが可能になれば、治療選択を含めてその臨床的意義は極めて大きいものになります。
図4 潰瘍性大腸炎疾患活動性を示すアミノインデックス®
おわりに
炎症性腸疾患を炎症だけでなく代謝の面から検討した臨床研究は極めて珍しく、末梢血アミノ酸プロファイルからバイオマーカーを確立したのは我々が世界で初めてです。慢性炎症性疾患や悪性腫瘍においては患者さんの栄養状態を含めた代謝の状態を知ることが診断や治療を考える上で極めて重要になります。メタボロームの概念を導入することにより個人の代謝状態を客観的に評価することができれば臨床上有用なパラメーターになると考えられます。さらにこれまではあまり研究の進んでいなかった炎症性腸疾患における代謝学の進歩が食生活と疾患発症の因果関係の解明や新たな治療標的の発見につながる可能性があるのではないかと期待しています。最後にこの研究の背景には豊富な臨床経験と基礎研究の両立を目指すという慶應医学の哲学があると思います。これからもphysician scientistとして炎症性腸疾患の病態解明と診療体系の革新を目指していきたいと思います。
参考文献
Novel, objective, multivariate biomarkers composed of plasma amino acid profiles for the diagnosis and assessment of inflammatory bowel disease.
Hisamatsu T, Okamoto S, Hashimoto M, Muramatsu T, Andou A, Uo M, Kitazume MT, Matsuoka K, Yajima T, Inoue N, Kanai T, Ogata H, Iwao Y, Yamakado M, Sakai R, Ono N, Ando T, Suzuki M, Hibi T.
PLoS One. 2012;7(1):e31131. doi: 10.1371/journal.pone.0031131. Epub 2012 Jan 31.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3269436/
久松理一(消化器内科専任講師)
最終更新日:2013年2月1日
記事作成日:2013年2月1日
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