デジタル医療機器が拓く禁煙治療の新時代 ―呼吸器内科―
はじめに
禁煙補助薬を用いた禁煙治療が2006年に保険適用となってから15年が経過しました。日本全国17,000ほどの医療機関で禁煙外来を受診することができるようになり、多くの患者さんが禁煙を達成しています。慶應義塾大学病院呼吸器内科も2007年から禁煙外来を開設しており、これまで多くの患者さんが「卒煙」していきました。近年、タバコ製品の多様化、IoT技術の浸透、オンライン診療の広まりなどに伴い、禁煙外来の状況も刻々と変化しています。
タバコ製品の多様化に伴う、加熱式タバコの扱い
これまで「たばこ」といえば、紙巻きタバコのことでしたが、近年「新型タバコ」と呼ばれる新商品が登場してきました。「新型タバコ」には、加熱式タバコと電子タバコがあります。さらに加熱式タバコには、1) 葉タバコを燃やさず加熱することにより、ニコチン含有エアロゾルを吸引させるタイプ、2) 有機溶剤からエアロゾルを発生させ、タバコ粉末を通過させてタバコ成分を吸引させるタイプの2種類があります。一方、電子タバコは、葉タバコを使用せず、精製された液体を加熱して発生したエアロゾルを吸引させるものです。現在の日本では、ニコチンを含有する電子タバコは薬機法で規制されており、入手できません。
これら新型タバコは、紙巻きタバコよりも健康リスクが低いと思わせるキャッチフレーズで販売されています。たとえば、揮発性化合物(アクロレイン、ホルムアルデヒド)やニトロソアミン等の発がん物質含有量が、紙巻きタバコに比べると少ないことをうたっています。しかし、こうした有害物質は少量でも摂取すれば健康被害につながるため、少なければよいというものではありません。またアセナフテンなどの有害物質は、紙巻きタバコよりも新型タバコに多く含まれることも知られています。喫煙後の呼気中には見えない煙「エアロゾル」が出ており、受動喫煙の影響もあります。発売されて間もないため、長期的な健康リスクも未知数です。実際、欧米諸国では安全性が確認されるまで販売が見送られていることもあり、たとえば8割以上が日本で消費されている銘柄もあるといわれています。禁煙外来では、こうした「新型タバコ」も健康被害をもたらすタバコとして、禁煙治療の対象として扱います。
禁煙外来の対象者は、35歳以上の場合は一定以上の喫煙歴があること(ブリンクマン係数=1日の紙巻きタバコ喫煙本数×喫煙年数≧200)が保険適用の条件となっています。加熱式タバコについても、葉タバコを燃やさず加熱するタイプの製品(上記の1)の場合は、スティック1本を紙巻きタバコ1本として換算し、有機溶剤からエアロゾルを発生させるタイプの製品(上記の2)の場合は、1箱を紙巻きタバコ20本として換算したうえで、紙巻きタバコの本数と合算することになっています。
禁煙外来でのニコチン依存症治療
禁煙治療は、その対象が紙巻きタバコであっても、新型タバコであっても、「嗜好品」と思われているタバコを「薬物(ニコチン)依存の対象」と考え直すところから始まります。すなわち、喫煙によりニコチンを繰り返し摂取していると、快感や意欲の源泉である脳内ドーパミンの分泌が、ニコチン摂取に牛耳られてしまうと考えます。これを身体的依存と呼び、ニコチン摂取をやめるとイライラする等の「離脱症状」を伴います。禁煙外来では、離脱症状を和らげるために禁煙補助薬が処方されます。ニコチン貼付剤(ニコチネルTTS®)は、ニコチン不足を緩やかに補うことで離脱症状を抑制します。バレニクリン(チャンピックス®)は、ニコチン受容体の部分作動薬としてドーパミン分泌を助けることで離脱症状を和らげる内服薬であり、同時に、ニコチン受容体の部分拮抗薬として喫煙した時の満足感を抑制する作用も併せ持ちます。つまり、タバコの味が「まずくなる」という効果があります。これらの薬剤を患者さんの特性にあわせて使い分けます。
一方で離脱症状が克服できているにも関わらず、禁煙がうまくいかない患者さんもいらっしゃいます。その原因はタバコや喫煙行動に対する良いイメージや愛着であることが多く、先の身体的依存に対して心理的依存と呼ばれます。心理的依存に対しては、「タバコはストレスそのものを緩和してくれない」ことや、「依存症」とはどのような状態かを説明するためのカウンセリングが重要です。
こうした治療により、禁煙外来を受診した患者さんのうち、およそ半数が禁煙を達成します。当院では約7割の患者さんが禁煙を達成しています。
禁煙失敗に対する新たな取り組み
ところが年月が経つと、ふとした誘惑に負けて再喫煙してしまう患者さんも少なくなく、禁煙外来終了後、約9か月で約半分の患者さんが再喫煙してしまいます。また、禁煙成功率を上げるためには5回の受診プログラムを完遂することが大切ですが、途中で来院できなくなり、喫煙を再開してしまう患者さんもいます。受診と受診の間、外来プログラム終了後の「治療の空白」を、どう埋めればよいかが長い間の課題でした。そこで、診察室の外でも禁煙治療が継続できるような工夫が考えられました。慶應義塾大学医学部呼吸器内科学教室と、ベンチャー企業CureAppがタイアップして開発した、日本初のデジタル医療機器「CureApp SC®」です。
日本初のデジタル治療機器・CureApp SC®
CureApp SC®は、1) モバイル呼気中一酸化炭素チェッカーと連動するデジタル禁煙日記、 2) ニコチン依存症についての教育動画、3) 自動応答チャットボットによるカウンセリング機能・喫煙代替行動の提示機能 を兼ね備えたスマートフォン専用アプリです(図1、図2)。このアプリは、国内で初めてのデジタル治療機器として保険償還されました。
図1. アプリの自動応答チャットボットによるカウンセリング
図2. CureApp SC®システムの概要
臨床試験では、従来の禁煙外来での治療に加えてこのアプリを使うことで、禁煙継続率が改善することが示されました。慶應義塾大学病院を含む31 施設の禁煙外来を受診した584人の患者さんにこのアプリを処方し、インストールもしくは使用しなかった12人を除いた上で、アプリを使用した群(285人)で禁煙外来開始後半年まで禁煙を継続できた方は63.9%、利用しなかった群(287人)では50.5%と、およそ1.7倍の科学的に有意な効果が得られました。これは、禁煙補助薬のチャンピックス®と同じくらいの上乗せ効果です。またアプリを使った人は、タバコを吸いたいという衝動や欲望が減少していました。
実際に利用するには、患者さんご自身でApp StoreやGoogle Playからアプリをダウンロードした上で、禁煙外来の担当医師が「処方」したコードを入力することが必要です。保険点数は2,540点であり、3割負担では7620円の自己負担額が設定されています。これから禁煙に挑戦する患者さんにとって、日々の生活の中で頼れるパートナーになると期待しています。
利便性の追求
新型コロナウイルスの流行もあり、世の中ではオンライン診療が話題となっています。もちろん、患者さんと実際に会って話す中でしかわからないような機微な情報は、医療者にとって大事なものです。しかし患者さんの利便性や感染対策を考えると、必要に応じて取り入れていくべきシステムです。禁煙外来については、2020年4月より、全5回の受診のうち、2回目から4回目の受診にはスマートフォンなどの情報通信機器を用いたオンライン診療が健康保険で認められるようになりました。日中多忙であったり、新型コロナウイルス感染を忌避して二の足を踏んでいたりした患者さんにとって朗報です。また、オンライン診療とCureApp SC®の相性は良いと考えられますので、今後両者を併用した禁煙外来が増えていくかもしれません。
新しい時代の禁煙治療
紙巻きタバコだけを対象とし、対面診察限定で行われていた禁煙治療は、この数年で大きく変化しています。加熱式タバコが禁煙外来の対象となり、部分的にオンライン診療が認められました。CureApp SC®は2020年12月から保険適用となり、慶應義塾大学病院の禁煙外来でも導入準備を進めております(開始時期は現時点では未定です)。
禁煙外来の受診には覚悟が要るかもしれませんが、禁煙失敗を減らすための科学的に最善の手段です。担当医師と相談のうえで、是非禁煙外来でのデジタル治療を体験してみてください。
左上:舘野博喜(呼吸器内科学教室非常勤講師)、右上:正木克宜(同助教)、
左下:亀山直史(同共同研究員)、右下:福永興壱(同教授)
文責:呼吸器内科
執筆:亀山直史、正木克宜、舘野博喜、福永興壱
最終更新日:2021年3月1日
記事作成日:2021年3月1日
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