乳がん個別化医療とゲノム医療 ―ブレストセンター
はじめに
近年の研究の進歩によって、がんの発生・増殖・転移に細胞の設計図である遺伝子が深く関わっていることが分かってきました。女性にとって身近な乳がんにおいても、遺伝子変異とがんの特徴や治療への反応性との関係が明確になってきたことで治療成績は飛躍的に改善し、個別化医療の実現に貢献しています。ここでは、最新のゲノム情報を活用した慶應ブレストセンターの取り組みが、どのように乳がんの治療選択や研究の発展に役立てられているかを紹介します。
がんと遺伝子の関わり
ヒトは、たくさんの種類のたんぱく質でできています。たんぱく質は、体を形づくったり、様々な生体反応を起こしたりして生命維持に関わります。細胞が作る全てのたんぱく質の設計図は、DNAという二重らせん構造の塩基配列に記されており、このDNAは細胞核内で小さく折りたたまれ、染色体という構造に格納されています。たんぱく質の設計図であるDNAはRNAといわれるコピーに転写され、このコピーからたんぱく質が作られます(図1)。
図1.遺伝子の構造と働き
何らかの原因でDNAに誤りが生じて書き換わることを変異といいます。細胞にとって重要な機能を持つDNAが誤って書き換えられると、本来とは異なるたんぱく質が作られたり、作られるはずのコピー(RNA)が作られなくなったり、過剰な量のコピーが作られたりすることがあります。その結果、たんぱく質の発現も大きく変化し、正常細胞にはないはずの強い増殖能や転移などの能力を獲得し、がん細胞は数を増やして体の中で広がっていきます(図2)。
図2.遺伝子変異とがんの関わり
このがんの増殖に関わるメカニズムが解明されることで、がんの特徴を的確に捉え、それに応じた適切な治療を選択したり、新たな薬物の開発に役立てるなど、がん治療は飛躍的に進歩を遂げました。
乳がんにおけるがんゲノム医療
乳がんの遺伝子を網羅的に解析した結果、乳がんは単一の疾患ではなく、異なる生物学的特徴や臨床経過を持つサブタイプに分かれることがわかってきました。早期乳がんの術後療法として、それぞれのサブタイプに応じた薬物療法を行うことで乳がんの再発を減らすことができるようになりました。しかし、ホルモン受容体陽性/HER2陰性乳がんにおいて、従来の腫瘍径、リンパ節転移、異型度といった指標を基に術後薬物治療の方針を決定すると、化学療法が必要でない症例に対して過剰な治療が行われている可能性があると報告されていました(図3)。したがって患者さん一人一人、化学療法でベネフィットを受けるかどうかを個別に判断する必要があるのです。
図3. 乳がんのサブタイプ分類
(出典:Lal, S., A. E. McCart Reed, et al. (2017). "Molecular signatures in breast cancer." Methods.)
【多重遺伝子アッセイによる術後治療の選択】
ホルモン受容体陽性/HER2陰性乳がんにおいて、より正確に予後を予測し、術後化学療法の必要性を判断する目的で、Oncotype DXやCureBestTM95GC Breast等の複数の遺伝子発現を調べる検査(多重遺伝子アッセイ)が開発されました。具体例として、日本で開発されたCureBestTM95GC BreastはDNAマイクロアレイという技術により、95個の乳がんに関連する遺伝子のRNA発現量を調べる自費検査です。再発リスクが高い「H(再発高リスク)」か、低い「L(再発低リスク)」かを判断することができます(図4)。日本人を対象とした検討では、年齢を問わず予後予測が可能であり、術後化学療法を必要とする閉経前高リスク群に対して適切な治療選択を行える可能性が示唆されています。このように個々の腫瘍のRNA発現を調べることで、乳がんの個別化医療が実践されています。
図4. CureBest™95GC Breastによる予後予測
【遺伝子パネル検査 当院での取り組み】
2018 年 2 月、慶應義塾大学病院は、厚生労働省から「がんゲノム医療中核病院」に認定されました。同年 10 月より、がんの遺伝子を網羅的に調べるPleSSision-Rapid(プレシジョン ラピッド)臨床研究を開始しました。この研究は、慶應病院で手術を受けたがん患者さん(乳がんを含む)を対象に、160 遺伝子のDNAを調べて、薬物治療の標的となる遺伝子変異を探索するものです。この研究は、より精度の高い次世代の病理・遺伝子診断法の確立を目的としているため、遺伝子解析の結果は主治医に伝えられ、原則として従来の標準治療が実施されます。将来的には、この研究の結果を役立てることで、日本のがん患者さんの個別化医療がさらに発展していくことを目指しています。
当院の診療体制
当院ブレストセンターでは乳腺外科を中心に、腫瘍センター、形成外科、放射線科、産科、整形外科、緩和医療センター、臨床遺伝学センターなど多くの専門領域と密に連携し、最新の知識・技法・テクノロジーを取り入れた乳癌の診療を提供しています。今後もより良い乳がん治療の実現に向けて診療体制の充実を図って参ります。
関連リンク
- 慶應義塾大学病院 ブレストセンター
- 慶應義塾大学病院 腫瘍センター ゲノム医療ユニット
- Oncotype DX® Breast Recurrence Score
- CureBestTM95GC Breast
ブレストセンターの医師と乳がん看護認定看護師
文責:ブレストセンター
執筆:永山愛子
最終更新日:2019年9月2日
記事作成日:2019年9月2日
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