慶應義塾大学病院におけるがんゲノム医療~現状と将来像~ ―腫瘍センター―
「遺伝子病」としての「がん」
今まで、「がん」は発症臓器、及び組織型に基づいて診断・分類された後、その分類に従って治療法の選択がなされてきました。しかし近年、「がん」は様々な遺伝子の異常が積み重なることで発症する、いわば「遺伝子病」であることが多数の研究により明らかにされてきました。また、その遺伝子の異常はそれぞれの患者さんごとに異なっているのです。そこで、特定の遺伝子異常を検索し、その遺伝子異常を標的とした個別化治療を行う「プレシジョンメディシン(精密医療)」が徐々に導入されるようになり、がん治療の概念が大きく変わろうとしています。
多段階発がんによるがん発生のメカニズム
当院における、がんゲノム医療の取り組み
2018(平成30)年2月に厚生労働省は、がんゲノム医療、すなわち、遺伝子異常を調べて個別化治療を行うために、全国に11か所の「がんゲノム医療中核拠点病院」を認定しました。ゲノム医療中核拠点病院に求められる機能は多岐にわたっており、遺伝子検査に用いられる病理検体の適正な取り扱い、複数の遺伝子を同時に調べる遺伝子パネル検査の実施、エキスパートパネルと呼ばれる専門家会議の開催による正確な遺伝子検査結果の解釈と治療対応、生殖細胞系列変異(遺伝する遺伝子変異)の判断と遺伝カウンセリング対応等、幅広い総合力が求められています。当院もその認定を受け、24の連携医療機関と共にがんゲノム医療の中核拠点病院としての活動を開始しています。
PleSSision検査
当院では、自費診療による受託臨床検査として160遺伝子を調べる「PleSSision検査」を2017(平成29)年11月から導入しています(検査費用;約77万円)。通常、がんの遺伝子検査は、患者さんのがん組織からDNAを抽出して遺伝子配列を解析しますが、PleSSision検査ではさらに血液から採取した患者さんの「がん」ではない細胞の遺伝子も同時に検査しています。それによって、より正確な遺伝子異常を検出し、また、そのがんが遺伝性か否かを判断することが可能です。解析結果は、主治医に加えて、病理医、薬物療法専門医、検査技師、バイオインフォマティシャンなどゲノム医療の専門家からなるカンファレンス「Cancer Genomic Board」によって議論され、ドライバー遺伝子のように発がんへの関与が知られており、治療標的としての介入(Action)が期待される「Actionable変異」、その中で実際に投薬可能な薬剤が存在する遺伝子変異「Druggable変異」を同定しています。また、複数の診療科のがん治療専門医から得られた、これまでの治療に対する反応や副作用、年齢、背景、治験情報等を加味した上で最終的な推奨治療を決定し、患者さんに遺伝子解析報告書をお返ししています。これまでに合計で300名を超える患者さんに対してPleSSision検査が行われてきました(前身となった北海道大学病院でのクラーク検査の実績を含む)が、その結果は当初の期待を大きく超えるものでした。Actionable遺伝子を検出した割合は90%以上、米国FDA承認治療薬または治験薬の情報に関与するDruggable遺伝子を検出した割合は70%以上に上っています。また、検出された遺伝子異常に基づく個別化治療を行った患者さんは12%で、奏効率(がんが一時的にでも縮小した症例)は44%、病勢制御率(がんが縮小またはがんの増大が止まった症例)は67%と報告されています(北海道大学病院での実績)。
我が国のがんゲノム医療
欧米においては遺伝子パネル検査が既に医療サービスとして日常診療で次々と導入されていますが、日本の「がんゲノム医療」はまだ欧米のレベルに追いついていません。2018年4月9日より国立研究開発法人国立がん研究センター中央病院は、114遺伝子と12種類の融合遺伝子を調べる遺伝子パネル検査「NCCオンコパネル」を臨床研究(先進医療B)として開始しました。当院においてもこの検査を8月頃から導入する予定ですが、適応対象となる患者数は全てのがん患者の約1-2%に留まります。そこで当院では、現在実施しているPleSSision検査に加えて、ひとりでも多くのがん患者さんに遺伝子パネル検査を実施できるように、これから手術を受ける全てのがん種の患者さんを対象にPleSSision-Rapid検査を開始します。この検査は、病理検査の補助的検査として160遺伝子を調べるもので、遺伝性の有無については解析を行わない等、自費診療検査のPleSSision検査とはいくつか異なる点がありますが、臨床研究として実施するため、患者さんの検査費用の自己負担はありません。
一方、日本における「がんゲノム医療」には、もうひとつ大きな問題があります。それは、仮に遺伝子パネル検査によって標的遺伝子異常が見つかっても、現行の保険医療制度の元では発症臓器毎に治療薬剤が決められているために、遺伝子異常に基づく薬物治療を実際に施行できる機会が限られているのです。そこで、当院では腫瘍センターが中心となり、少しでも個別化治療を実施する可能性を増やすために複数の先進医療Bを申請して、遺伝子異常に基づく個別化医療を実施する態勢を全国の連携病院と共に構築していきます。その結果、日本のがんゲノム医療の均てん化、すなわち、すべてのがん患者さんが遺伝子パネル検査を受け、自分の「がん」の個性を知り、遺伝子異常に基づく個別化治療を受けられる態勢の構築を目指し、最大限の努力をして参ります。
関連リンク
- 「がん」の遺伝子を調べる臨床研究「次世代統合的病理・遺伝子診断法の開発」の開始(慶應義塾大学病院)
後列左から3番目:西原広史(腫瘍センター特任教授)、後列左から4番目:高石官均(同センター長)
文責:腫瘍センター
執筆:西原広史、四十物絵理子
最終更新日:2018年7月1日
記事作成日:2018年7月1日
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