自然な膝の形状を再現した違和感のない人工膝関節置換術 -整形外科-
はじめに
人工膝関節置換術(total knee arthroplasty: TKA)は、国内で約8万件/年以上行われている整形外科の中で最も標準的な治療であり、高齢化社会に突入して以来、その件数は増加の一途を辿っています。最近では、インプラントの素材の進歩により15年経過して95%以上の耐用年数が報告されており、他の部位の人工関節よりも長期安定性が優れています。一方、今後の課題として、膝の痛みは改善しても違和感が残存する例が少なからず存在すること、スポーツ復帰率は人工股関節に比べて劣ることなどが挙げられています。我々は現在、その1つの解決策としてアライメントの改良に取り組んでいます。TKAでいうアライメントとは、大腿骨の軸と脛骨の軸がなす角度のことをいいます。従来のメカニカルアライメント(mechanical alignment:MA)法では、術後に大腿骨軸と脛骨軸がなす角は、正面から見ると180度で直線となります。一方、解剖学的アライメント(anatomic alignment: AA)法では、個人個人の術前のアライメントを再現する結果、脛骨関節面は平均3度内方に傾斜します(図1、2)。我々は5年以上前からAA法に注目して基礎および臨床研究を行い、患者満足度に関して確かな手応えを得ています。
図1.解剖学的アライメントによるTKA
術前の関節面の傾き(左写真)がTKA後に再現されている(右写真)
図2.TKAにおける2種類のアライメント
二木康夫.解剖学的アライメントを目指したTKA.関節外科. 35.p.886-90(2016)から許可を得て転載
健常人の下肢アライメント
変形性膝関節症の90%以上はO脚変形を来しますが、TKAを行えば曲がった膝はほぼまっすぐに矯正されます。しかし、人間の下肢は、正面から見ると健常人でもややO脚を呈することが知られており、特にアジア人は西洋人に比べてその傾向が強いと言われています。一方、現行のTKAのインプラントの多くは米国製で西洋人のまっすぐな下肢に合わせてデザインされており、O脚傾向を示す日本人ではTKA後に違和感を生じる例があります。実は、西洋人においても健常人の膝は軽度のO脚を呈しており、活動性の高い男性ほどその傾向が強いことが報告されています。
TKA後の下肢アライメント
TKAにおける下肢アライメントは、インプラントの耐久性に関与するのみならず患者さんが抱く膝のナチュラルな感触に関わることがわかってきました。40年以上の歴史があり、現在でもゴールドスタンダードとされるMA法では、大腿骨および脛骨の骨軸に垂直にインプラントを設置し、股関節中心と足関節中央を結ぶ線が、膝関節中央を通過するようにします(図2)。これに対し最近注目されているAA法は、自然な関節面の傾きの再現を目標としており、日本人特有の軽度のO脚を再現します。肉眼的にはほとんど気づかない2~3度のO脚ですが、荷重時には地面と関節面が平行になるという利点があります。この自然なO脚の再現が可能になった背景には、人工関節素材の技術革新やインプラントデザインの改良が大きく貢献しています。
大腿骨の屈伸軸の再現
AA法のコンセプトの根底には膝の屈伸軸を再現するということがあります。膝関節の屈伸に際して円柱状の大腿骨顆部は平坦な脛骨関節面の上を転がっていきます。このとき、大腿骨はある一定の軸を中心に回転運動します。その運動軸をあらかじめCT画像で求め、そこに大腿骨インプラントの屈伸軸を一致させることにより、ナチュラルな違和感のない屈伸が可能となります。大腿骨の回転軸は、図に示す通りほぼ側副靭帯の付着部に一致しており、屈伸に際して側副靭帯長の変動、即ち、上下動の少ない安定した軸ということが言えます(図3)。
図3.大腿骨屈伸軸の解析
屈伸軸は内外側側副靭帯付着部近傍に存在し、屈伸に際し上下動が最も小さい軸である。
(Yin, L et al. PLoS ONE, 2015から許可を得て転載)
AA法の注目すべき利点
現在なぜ、AA法が注目されているかについては、2つの大きな理由があります。1つは、変形性関節症(OA)が進行しても屈伸軸は最後まで温存されており、屈伸軸の位置を手術前にCTで確認しやすいということです。患者さんごとのOA発症前の膝を再現することが最終目標であり、屈伸軸を基準とした綿密な術前計画が可能となります。 2つ目の大きな理由は、屈伸軸を再現できれば、より正常な膝関節運動が再現できるため、より高度な動作が可能となります。実際に我々のデータでもAA法はMA法に比べて、階段や脚立の昇降に優れており、大腿四頭筋に効率的に力が伝わることが明らかになってきています(図4)。患者さん本来の屈伸軸を再現した膝では、歩行スピードも速く、歩行時の上体のバランスを取りやすいというメリットもあります。
図4.TKA手術法における各応用動作の達成度
ハシゴ・脚立の昇降において有意にAA法で優れていた。
日本人におけるAA法TKAの有用性
日本人では特に高齢になると骨密度が低下し、正面からみると大腿骨の骨軸が弯曲してくることが知られています。この大腿骨の弯曲により下肢アライメントはO脚となり、MA法に従って大腿骨の骨軸に垂直に骨切りを行い、O脚を矯正すると関節内の靭帯バランスが崩れます。一方、AA法では関節内の屈伸軸および靭帯バランスは温存され、違和感が生じることはありません。ただし、その反面、患者さん本来のO脚変形を許容するということになります。我々は、O脚変形による内側への荷重負荷の増大は、関節面を内方傾斜させることで低減されると考えております。我々の歩行解析研究により、AA法では内反モーメント(膝関節を中心に内側方向へ折れようとする力のモーメント)やモーメントアームの長さが有意に減少することが明らかとなり、その分、適度なO脚を残すことが可能です(図5)。
図5.TKA後の床反力ベクトルとレバーアーム
AA法TKAでは床反力ベクトルのレバーアーム(赤線)の長さが短くなり、内反モーメントは減少する
おわりに
AA法TKAは、1970年代にHungerfordらが提唱したコンセプトですが、当時のインプラントの耐久性不良により早期合併症を生み、忘れ去られていました。その後40年を経てマテリアルの技術革新により復興し、米国、日本を中心に広まりつつあります。AA法TKAはすでに米国のメタ解析で有効性と安全性が報告されていますが、日本においても今後さらに多くの整形外科医に追試され、良好な長期成績が出てくると信じています。
左から:小林秀(整形外科助教)、筆者(同准教授)、原藤健吾(同専任講師)
文責:整形外科
執筆:二木康夫
最終更新日:2017年12月1日
記事作成日:2017年12月1日
あたらしい医療
- 2024年
- 臨床研究を通じたあたらしい医療への貢献 ―リウマチ・膠原病内科―
- リンパ管腫(嚢胞状リンパ管奇形) ―小児外科―
- 安全・安心の美容医療の開始 ―形成外科―
- アルツハイマー病の新しい治療 ~アルツハイマー病の原因物質、アミロイドβを取り除く薬剤~ ―メモリークリニック―
- 糖尿病・肥満症のあたらしい医療 ―糖尿病先制医療センター ―
- うつ病に対する反復経頭蓋刺激療法(rTMS療法)の発展 ―精神・神経科―
- 好酸球性消化管疾患(EGID)~アレルギーセンターの取り組み~ ―アレルギーセンター ―
- パーキンソン病に対するデバイス補助療法の進歩 ―パーキンソン病センター―
- 早産で小さく生まれた赤ちゃんの性別を正確に決める ―性分化疾患(DSD)センター―
- 外科的切除が困難な腫瘍にエキスパート達が集結し挑む:大血管浸潤腫瘍治療センターの設立―大血管浸潤腫瘍治療センター―
- 小児白血病に対するCAR-T細胞療法 ―小児科―
- 表在型消化管腫瘍に対する内視鏡的粘膜下層剥離術の進歩 ―内視鏡センター―
- 2023年
- 副腎の新しい治療~原発性アルドステロン症に対する新しい低侵襲治療:ラジオ波焼灼術~ ―腎臓・内分泌・代謝内科―
- 胸部悪性腫瘍に対する経皮的凍結融解壊死療法(患者申出療養) -呼吸器外科・放射線科・呼吸器内科-
- いよいよ始まる婦人科がんでのセンチネルリンパ節ナビゲーション手術 ―婦人科―
- リンパ浮腫の発症予防・早期発見から精度の高い診断方法・先端治療まで ―リンパ浮腫診療センター―
- 多科による有機的な連携で難病を治療 ―側弯症診療センター―
- 多職種連携チーム医療で支える ―パーキンソン病センター―
- 臓器移植センターでの取り組みについて ―臓器移植センター―
- 口腔顔面痛ってどんな病気?筋肉のコリが原因になることがあるって本当? ―歯科・口腔外科―
- DX(デジタルトランスフォーメーション)で実現する効率的で質の高い微生物検査 ―臨床検査科―
- 中枢性運動麻痺に対する新たな治療法 ―リハビリテーション科―
- 2022年
- 新薬が続々登場!アレルギー疾患の治療革命 ―アレルギーセンター ―
- 小児リウマチ・膠原病外来の開設 -小児科-
- 最新ロボット「hinotori(ヒノトリ)」を用いた腹腔鏡下手術開始 -泌尿器科-
- UNIVAS成長戦略に対する本校の貢献 ~UNIVASスポーツ外傷・障害予防研究~ ―スポーツ医学総合センター―
- 血管腫・血管奇形センター ~病態・治療について~
- 炎症性腸疾患 ~専門医連携による最新の取り組み~ -消化器内科-
- 多職種連携で行うAYA世代がん患者さんの支援 -腫瘍センター AYA支援チーム-
- 糖尿病のオンライン診療 -腎臓内分泌代謝内科-
- 義耳と軟骨伝導補聴器を併用する小耳症診療 -耳鼻咽喉科-
- 腸管機能リハビリテーションセンター:Keio Intestinal Care and Rehabilitation Center
- 歯周組織再生療法 ―歯科・口腔外科―
- 外傷性視神経管骨折へのチームアプローチ(視神経管開放術) ―頭蓋底センター―
- 最新の角膜手術(改訂) ―眼科―
- 子宮体がんの手術とセンチネルリンパ節生検(改訂) -婦人科-
- 2021年
- 2020年
- 2019年
- 早期消化管がんに対する低侵襲内視鏡治療(改訂)
-腫瘍センター 低侵襲療法研究開発部門- - 血液をきれいにするということ(改訂)
-血液浄化・透析センター- - 1型糖尿病治療の新しい展開
―糖尿病先制医療センター― - アルツハイマー病の新しい画像検査
~病因物質、ベーターアミロイドとタウ蛋白を映し出す検査~ - 性分化疾患(DSD)センターの活動を紹介します
- 乳がん個別化医療とゲノム医療 ―ブレストセンター
- 気管支喘息のオーダーメイド診療 -呼吸器内科―
- 人工中耳手術 ~きこえを改善させる新しい手術~ ―耳鼻咽喉科―
- がん患者さんへの妊孕性温存療法の取り組み ―リプロダクションセンター―
- 腰椎椎間板ヘルニアの新たな治療 ~コンドリアーゼによる椎間板髄核融解術~ ―整形外科―
- 痛みに対する総合的治療を提供する「痛み診療センター」の開設
- 軟骨伝導補聴器 ~軟骨で音を伝える世界初の補聴器~
―耳鼻咽喉科― - 診療科の垣根を超えたアレルギー診療を目指して
― アレルギーセンター ―
- 早期消化管がんに対する低侵襲内視鏡治療(改訂)
- 2018年
- 2017年
- 自然な膝の形状を再現した違和感のない人工膝関節置換術
-整形外科- - 母斑症診療の新たな枠組み
―母斑症センター― - 子宮頸部異形成に対する子宮頸部レーザー蒸散術
―婦人科― - 新しい鎮痛薬ヒドロモルフォンによるがん疼痛治療
―緩和ケアセンター― - 内視鏡下耳科手術(TEES)
―耳鼻咽喉科― - 頭蓋縫合早期癒合症の治療‐チーム医療の実践‐
―形成外科― - 気胸ホットラインの開設
―呼吸器外科― - 出生前診断‐最新の話題‐
-産科- - クロザピン専門外来の取り組みと治療抵抗性統合失調症に対する研究について
―精神・神経科― - 治療の難しい天疱瘡患者さんに対する抗CD20抗体療法
-皮膚科- - AED(改訂)
-救急科- - IBD(炎症性腸疾患)センター
-消化器内科- - 肝不全/肝硬変に対する究極の治療 -肝移植-(改訂)
-一般・消化器外科-
- 自然な膝の形状を再現した違和感のない人工膝関節置換術
- 2016年
- 2015年
- 2014年
- 2013年
- 2012年
- 2011年