病気を知る
神経発達症とは
はじめに
「神経発達症」という言葉を初めて耳にすると、多くの方が戸惑われます。
「病気なのだろうか。」
「一生治らないのだろうか。」
「普通に生活できるのだろうか。」
こうした不安を抱くことは、ごく自然なことです。
しかし、神経発達症を正しく理解すると、その見方は大きく変わります。
神経発達症とは、「能力が低い」「努力が足りない」といったことを意味するものではありません。また、ご本人やご家族の育て方が原因で起こるものでもありません。
脳や神経の発達の仕方には、生まれつき様々な個人差があります。神経発達症は、そのような脳の働き方の多様性の一つとして理解されるようになってきています。
一方で、その特性によって学校生活や仕事、人間関係、日常生活に困りごとが生じることがあります。そのような困りごとを理解し、ご本人が本来持っている力を十分に発揮できるよう支援することが、医療や教育、福祉の大切な役割です。
本項では、神経発達症の中でも代表的な注意欠如・多動症(ADHD)と自閉スペクトラム症(ASD)を中心に、現在の考え方や治療、日常生活で役立つ工夫についてご紹介します。
診断名だけにとらわれることなく、ご本人の特性や強みを理解し、「その人らしく生きる」ための一助となれば幸いです。
神経発達症とは
神経発達症とは、脳や神経の発達の違いによって、幼少期から認知や行動、コミュニケーション、学習などに特徴が現れる一群の疾患です。
以前は「発達障害」という名称が広く用いられていましたが、現在では国際的な診断分類(DSM-5-TRやICD-11)に合わせ、「神経発達症」という呼び方が用いられるようになっています。
代表的なものとして、
- 注意欠如・多動症(ADHD)
- 自閉スペクトラム症(ASD)
- 限局性学習症(SLD)
- 発達性協調運動症(DCD)
- 知的発達症
- チック症・トゥレット症候群
などがあります。
これらはそれぞれ別々の診断名ですが、複数の特性をあわせ持つことも少なくありません。例えば、ADHDとASDが併存することは決して珍しくなく、一人ひとりの特徴は非常に多様です。
また、神経発達症は「ある」「ない」と明確に分けられるものではありません。
例えば、「少し忘れ物が多い」「人付き合いが少し苦手」「予定の変更が苦手」といった特徴は、ほとんどの人に、程度の差こそあれみられます。
そのため、神経発達症は連続体(スペクトラム)として考えられています。
重要なのは、その特性によって学校生活や仕事、家庭生活などで困りごとが生じているかどうかです。
つまり、診断名は「その人がどのような人か」を決めるものではなく、「どのような支援が役立つか」を考えるための目安なのです。
ニューロダイバーシティという考え方
近年、「ニューロダイバーシティ(Neurodiversity)」という考え方が広く知られるようになりました。
Neuro(神経)とDiversity(多様性)を組み合わせた言葉で、「脳や神経の働き方の違いは、人間の多様性の一つとして尊重されるべきである」という考え方です。
これまで社会では、「多数派」の考え方や行動様式が標準とされ、それに合わない人は「できない人」あるいは「問題がある人」と見られてしまうことが少なくありませんでした。
しかし、神経発達症のある方々は、苦手なことがある一方で、高い集中力や豊かな発想力、優れた記憶力、独創的な視点など、様々な強みを持っていることがあります。
社会全体がこうした多様性を理解し、それぞれの強みを生かせる環境を整えることが、ニューロダイバーシティの目指す社会です。
一方で、この考え方は「困っていても支援は不要」という意味ではありません。
もし特性によって学校生活や仕事、人間関係に大きな困難が生じているのであれば、医療や教育、福祉の支援を受けることはとても大切です。
眼鏡をかけることで見えやすくなる人がいるように、環境を調整したり、支援を受けたり、必要に応じて薬物療法を行ったりすることで、その人が本来持っている力を発揮しやすくなることがあります。
ニューロダイバーシティと医療は対立する考え方ではありません。
一人ひとりの違いを尊重しながら、必要な支援を提供すること。
それが、今日の神経発達症診療の基本的な考え方です。
困りごとはどこから生まれるのでしょうか
神経発達症について考えるとき、私たちはつい「本人の特性」だけに目を向けがちです。
しかし実際には、生活上の困りごとは本人の特性だけで決まるものではありません。
同じ特性を持っていても、ある人はほとんど困らず生活できる一方で、別の人は学校や職場で大きな困難を感じることがあります。
この違いはどこから生まれるのでしょうか。
その答えは、「特性」と「環境」との組み合わせにあります。
例えば、静かな場所では集中しやすい人でも、周囲が騒がしい教室では集中できないことがあります。
反対に、予定の変更が苦手な方でも、見通しを立てやすい環境では安心して生活できることがあります。
つまり、「困りごと」は本人だけの問題ではなく、本人の特性と周囲の環境との相互作用によって生じることが多いのです。
そのため、支援では本人だけに努力を求めるのではなく、環境を整えることも同じくらい大切になります。
学校であれば席の位置を工夫したり、予定を分かりやすく伝えたりすることが役立つかもしれません。
家庭では声かけの方法を工夫したり、生活の見通しを立てやすくしたりすることで、毎日の困りごとが少なくなることがあります。
職場では仕事内容や指示の出し方を工夫することで、本来の力を十分に発揮できる方も少なくありません。
近年では、このように本人を変えることだけではなく、環境も一緒に調整することが神経発達症支援の基本的な考え方となっています。
正確な診断のために
神経発達症の診断では、「現在どのような様子か」だけではなく、「これまでどのように育ってきたのか」を理解することがとても大切です。
人のこころや行動は、生まれつきの特性だけで決まるものではありません。
成長の過程で出会った人々や経験、学校生活や家庭環境など、様々な要因が影響しながら発達していきます。
そのため、診断では現在の困りごとだけでなく、乳幼児期から現在までの発達の経過を丁寧にお伺いします。
また、神経発達症の特徴は家庭だけでみられるとは限りません。
学校では目立つけれど家庭では困らないこともあれば、その逆の場合もあります。
そのため、ご本人やご家族のお話に加え、保育園や幼稚園、学校、職場などからの情報が診断の助けになることがあります。
必要に応じて心理検査を行い、知的な能力や注意機能、記憶、認知の特徴などを詳しく調べることもあります。
一方、血液検査や脳波検査、頭部MRIなどの画像検査だけで神経発達症が診断できるわけではありません。
これらの検査は、症状の背景に別の病気が隠れていないかを確認したり、必要に応じて参考にしたりするために行われます。
現在のところ、神経発達症を一つの検査だけで診断できる方法はありません。
最も大切なのは、ご本人がどのような特性を持ち、どのような場面で困り、どのような支援によって力を発揮できるのかを総合的に理解することです。
診断は、そのための第一歩なのです。
「診断をつける」ことより、「理解する」こと
神経発達症の診断では、「診断名をつけること」が目的ではありません。
本当に大切なのは、その人がどのような特性を持ち、どのような場面で困り、どのような支援が役立つのかを理解することです。
同じ「ADHD」や「ASD」という診断名であっても、困りごとも得意なことも一人ひとり異なります。
そのため、私たちは診断名だけを見るのではなく、その人自身を理解しようと努めています。
診断は、その人を決めつけるためのものではありません。
その人らしく生活できる方法を一緒に考えるための出発点なのです。
私たちは診断名を知りたいのではありません。
その人を理解したいのです。
診断を受けたら
神経発達症と診断されると、多くの方が驚きや不安を感じます。
「これからどうなるのだろう。」
「一生この診断名がつくのだろうか。」
「普通に生活できるのだろうか。」
診察室でも、このような質問を受けることが少なくありません。
しかし、診断は決して人生に「レッテル」を貼るためのものではありません。
私たちが診断を行う目的は、ご本人を診断名で分類することではなく、その方の特性を理解し、よりよい支援につなげることです。
同じ診断名でも、得意なことも苦手なことも、人それぞれ異なります。
困りごとの程度も、年齢や生活環境、周囲の理解によって大きく変化します。
診断とは、「あなたはこういう人です」と決めつけるものではなく、「あなたにはこのような特徴があり、このような支援が役立つかもしれません」と考えるための出発点なのです。
そのため、診断がついた後も、成長や環境の変化とともに、必要な支援の内容は変わっていきます。
時には診断名そのものが変わることもあります。
これは「以前の診断が間違っていた」という意味ではありません。
子どもの成長とともに特性の現れ方が変化したり、ある困りごとが改善して別の特徴がより目立つようになったりするためです。
私たちは、その時々のご本人の状態に合わせて、最も適切な支援を考えていきます。
診断は「羅針盤」です
登山や航海では、目的地へ向かうために地図や羅針盤を使います。
羅針盤は、歩く道そのものを決めるものではありません。
また、「こちらへ行かなければならない」と命令するものでもありません。
現在地を知り、進む方向を確かめるための道具です。
神経発達症の診断も、それとよく似ています。
診断名によって、その人の価値や将来が決まることはありません。
診断は、ご本人やご家族、学校や職場、医療者が「今、どのような支援が必要なのか」を一緒に考えるための共通の道しるべです。
困ったときに立ち止まり、方向を確かめ、必要な支援を選ぶための羅針盤なのです。
ですから、診断名そのものに一喜一憂する必要はありません。
それよりも、「この診断をどのように役立てるか」を考えることが大切です。
本人にはいつ診断名を伝えるのでしょうか
保護者の方から、
「子ども本人には診断名を伝えた方がよいのでしょうか。」
という質問をいただくことがあります。
私たちは、多くの場合、「いつ伝えるか」は「伝えるかどうか」と同じくらい大切だと考えています。
診断された直後は、ご本人もご家族も不安が大きく、診断名だけが強く印象に残ってしまうことがあります。
また、十分な説明がないまま診断名だけを知ると、
「自分は普通ではない。」
「もう頑張っても変われない。」
などと誤解してしまうこともあります。
私たちは、そのような伝え方は望ましいとは考えていません。
まずは、ご本人、ご家族、学校や職場、そして医療スタッフが協力し、その方の困りごとを一つずつ整理しながら、支援の方向性を共有していきます。
環境が少しずつ整い、
「このやり方ならやっていけそうだ。」
「困ったときには相談できる。」
という安心感が育ってきた頃が、診断について話し合う一つの良い機会になると考えています。
その時、診断名は「あなたを決める言葉」ではなく、「自分を理解するための言葉」として受け止めやすくなるからです。
診断名はゴールではありません。
自分を知り、自分らしい生き方を考えるための羅針盤として役立てていただきたいと思います。
医療だけでは支えられません
診察室でお会いする時間は、一週間、一か月という生活全体から見れば、ごくわずかな時間です。
本当に大切なのは、日々の生活の中で、ご本人を支える人たちが同じ方向を向いていることです。
ご家族には、ご本人が安心して過ごせる居場所があります。
学校には、学びや友人との関わりがあります。
職場には、社会の中で力を発揮する機会があります。
医療には、特性を理解し、支援の方法を一緒に考える役割があります。
それぞれの立場は異なりますが、目指す方向は一つです。
「その人が、その人らしく生活できること。」
そのためには、誰か一人が頑張るのではなく、ご本人を中心として、ご家族、学校、職場、医療、地域が協力し合うことが何より大切です。
神経発達症とともに歩む
神経発達症は、一生付き合っていく特性であることが少なくありません。
そのため、「治るか、治らないか」という視点だけで考えると、不安が大きくなってしまうことがあります。
しかし、私たちが日々診療を続ける中で実感しているのは、それとは少し違う事実です。
適切な支援を受け、自分自身の特性を理解し、周囲の人々の理解が深まることで、多くの方が自分らしい生活を送れるようになっています。
子どもの頃には学校生活に苦労していた方が、自分に合った進路を見つけ、生き生きと働いていることもあります。
人との関わりに悩み続けていた方が、自分に合った環境の中で安心して生活していることもあります。
診断名は変わらなくても、人生は大きく変わることがあります。
だからこそ、私たちは「診断」よりも「人生」を大切にしたいと考えています。
神経発達症を理解することは、その人の可能性を狭めるためではありません。
むしろ、その人が本来持っている力を十分に発揮できるようにするためです。
支援の目標は「その人らしく生きること」
医療にはご本人のためにできることがあります。
学校にもできることがあります。
家庭にもできることがあります。
地域にもできることがあります。
そして、ご本人にも、ご本人だからこそできることがあります。
それぞれが少しずつ力を合わせることで、生活は少しずつ変わっていきます。
神経発達症の診療では、「できないこと」を探すのではなく、「どうすればできるようになるか」を一緒に考えることが最も大切です。
時には環境を変えることが解決になります。
時には支援の方法を変えることが役立ちます。
時には薬が大きな助けになることもあります。
その一方で、ご本人が年齢を重ねるにつれて、自分自身の特性を理解し、自分に合った工夫を身につけていくことも少なくありません。
支援とは、「代わりにやってあげること」ではありません。
ご本人が本来持っている力を十分に発揮できるよう、一緒に環境を整えていくことなのです。
神経発達症を正しく理解する社会へ
近年、神経発達症への社会の理解は少しずつ進んできました。
一方で、誤解や偏見が完全になくなったわけではありません。
診断名だけで能力を決めつけられたり、「努力が足りない」と誤解されたりすることも、残念ながら今でもあります。
しかし、私たちは多くの患者さんから学んできました。
誰もが苦手なことを持っています。
誰もが得意なことを持っています。
神経発達症のある方だけが特別なのではありません。
一人ひとり異なる個性を持つことは、人として自然なことです。
ニューロダイバーシティという考え方は、「違いを認め合うこと」の大切さを私たちに教えてくれました。
そして医療は、その違いを尊重したうえで、困っている人に必要な支援を届ける役割を担っています。
この2つは決して対立するものではありません。
互いに支え合うものなのです。
おわりに
診断を受けた日を、鮮明に覚えている方は少なくありません。
不安だった方もいるでしょう。
安心した方もいるでしょう。
戸惑った方もいるでしょう。
その時の気持ちは、人それぞれです。
しかし、私たちは皆さんに一つだけお伝えしたいことがあります。
診断名は、あなたを決めるものではありません。
診断は、あなた自身を理解し、必要な支援を見つけ、その人らしい人生を歩むための羅針盤です。
羅針盤は、人生の道を決めるものではありません。
歩くのは、あなた自身です。
そして、その旅は決して一人ではありません。
ご家族がいます。
学校があります。
職場があります。
地域があります。
私たち医療者もいます。
困ったときには立ち止まり、羅針盤を見直しながら、一歩ずつ進んでいけばよいのです。
それぞれの歩幅で、それぞれの人生を歩んでください。
私たちは、その歩みをこれからも応援していきます。
私たちは診断名を見ているのではありません。
あなたという一人の人を見ています。
さらに詳しく知りたい方へ
一般向け
- ニューロダイバーシティの教科書 : 多様性尊重社会へのキーワード / 村中直人著 東京 : 金子書房, 2020.12
(最新の概念を学びたい方に) - 子どもの発達障害がよくわかる本 / てんねんDr. 著 東京 : SBクリエイティブ, 2025.4
信頼できる情報源
- 日本児童青年精神医学会
- 日本ADHD学会
- 日本自閉スペクトラム学会
- 国立精神・神経医療研究センター
- こども家庭庁