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記憶・学習のしくみを理解し、操作するための新しい技術 掛川渉(生理学)

記憶・学習の分子基盤

私たちが物事を学び、そして記憶するときに、脳内ではいったいどのようなことが起きているのでしょうか?近年、遺伝子改変技術や脳神経活動計測技術の飛躍的な進歩により、記憶・学習時の脳内において、神経細胞どうしの結び目である「シナプス」がダイナミックに活動していることが分かってきました。神経細胞間の情報伝達を担うシナプスでは、シナプス前細胞(情報を送る側の細胞)から神経伝達物質であるグルタミン酸が放出されると、シナプス後細胞(情報を受け取る側の細胞)表面に発現するグルタミン酸受容体に結合し、興奮情報を細胞から細胞へと伝えます(図1)。記憶・学習の過程において、このシナプスを詳しく観察してみると、あるシナプスではシナプス後細胞に発現するグルタミン酸受容体の数が増えることにより情報伝達が亢進する、いわゆる長期増強(long-term potentiation:LTP)と呼ばれる現象が起きていたり(図1左)、また、あるシナプスでは受容体の数が減ることにより伝達効率が低下する、いわゆる長期抑圧(long-term depression: LTD)と呼ばれる現象が起きたりします(図1右)。このようなLTPおよびLTDに代表される、神経活動に伴ったシナプス伝達効率の可逆的変化は「シナプス可塑性(synaptic plasticity)」と呼ばれ、今日、記憶・学習の実験的モデルとして注目されています。

図1.シナプスの構造と可塑性変化

私たちが記憶や学習している時、脳内のシナプスでは情報伝達を担うグルタミン酸受容体の数が増えたり(長期増強, LTP)、あるいは、減ったり(長期抑圧, LTD)している。

LTD?それともLTP?-運動記憶・学習を支えるシナプス可塑性

記憶・学習の中でも、自転車の乗り方や楽器演奏などの「体で覚える」運動記憶・学習は主に、私たちの後頭部に位置する小脳がつかさどります。1980年、伊藤正男博士(当時 東京大・医・生理学教室教授)らは、運動記憶・学習が、小脳神経回路内の顆粒細胞平行線維-プルキンエ細胞間シナプス(以下、平行線維シナプス)で観察されるLTDによって実現されていることを世界で初めて提唱しました。その後、LTDにかかわる分子群や反応経路が次々と同定され、LTDに必須な遺伝子を欠失したマウスでは運動記憶・学習能が著しく低下することから、平行線維シナプスで生じるLTDこそが運動記憶・学習の分子基盤であると信じられてきました。私たちもこれまでにGluD2、Cbln1およびD-セリンなどの分子が同シナプスでのLTD誘導や運動記憶・学習に必須であることを明らかにしています(参照:慶應発サイエンス2014年4月掲載記事)。しかし最近になって、LTDが阻害されても運動記憶・学習に影響を与えない例や、LTDの逆過程であるLTPの障害によって運動記憶・学習が阻害される例も報告され、運動記憶・学習とLTP/LTDとの関連性について再考の必要性が生じつつあります。これらの齟齬をもたらす大きな要因は、各種遺伝子改変動物からの実験結果が代償作用の影響を伴う点、そして、各研究グループによってLTP/LTDの誘導刺激が異なる点などが挙げられ、依然として記憶・学習がLTP/LTDと本当に直接的に関係しているのか、そして、もし関係しているのであれば、LTPとLTDのどちらなのかは議論の渦中にあります。この論争に終止符を打つためには、LTP/LTD を直接的かつ可逆的に制御しうる新しい技術の開発が必要不可欠であると考えられます。

小脳LTDと運動記憶・学習を光で制御する

この課題に取り組むため、私たちは、1)平行線維シナプスでLTDが起きると、シナプス表面のグルタミン酸受容体が細胞内のエンドソーム(注1)と呼ばれる小器官に取り込まれること、そして、2) エンドソーム内部の酸性化がグルタミン酸受容体の細胞内取り込みに必須であることに着目しました。つまり、エンドソーム内部の酸性化を人為的に制御することができればLTDを阻害できるのではないかと想像しました。当時、シアノバクテリア(藍藻)から発見されたプロトンポンプ(注2)(Anabaena Sensory Rhodopsin:ASR)の変異体が光照射によって周囲の環境からプロトンを流出させる性質を有することが報告されました。そこで上記の可能性を確かめるために、ASR変異体を哺乳類の細胞のエンドソームに局在するように改変したPhotonSABER(Photon-Sensitive ASR Based Endocytosis Regulator)を開発しました。興味深いことに、PhotonSABERに光を当てると、エンドソーム内部から細胞質へとプロトンが輸送され、その結果、エンドソーム内部の酸性化が阻害されることが確認できました。次に、このPhotonSABERを小脳の神経細胞に発現させ、光を照射すると、予想した通り、エンドソーム内部の酸性化阻害に伴い、グルタミン酸受容体の細胞内取り込みやLTDが有意に抑制されました。また、私たちはPhotonSABERを小脳プルキンエ細胞に選択的に発現する遺伝子改変マウス(PhotonSABER ノックインマウス)を作製し解析を進めると、このマウスでは光を照射していないときにはLTP、LTDともに誘導され、小脳依存性運動学習であるOKR (optokinetic response, 視運動性眼球反射) 学習(注3)も正常に獲得できました。しかし、このマウス小脳に光を照射すると、LTPは正常に誘導されたものの、LTD障害やOKR学習の低下が認められました(図2)。さらに、OKR学習課題を課したマウス小脳のグルタミン酸受容体数を定量すると、光を当てていないマウスでは平行線維シナプスにおける受容体数が有意に低下したのに対し、光を当てたマウスでは受容体数に変化を示しませんでした。以上の結果から、平行線維シナプスでのグルタミン酸受容体数の低下とLTDこそが運動記憶・学習の分子的な実体であることを直接的に証明することができました(文献)。

図2.小脳LTDおよび運動記憶・学習を光で操作する

PhotonSABERノックインマウスは、光非照射下では正常にLTDも誘導され、OKR学習を示したが(左側)、光照射下ではLTDもOKR学習も著しく障害された(右側)。

今後の展望

今回開発したPhotonSABERは、シナプス可塑性を光で直接的かつ可逆的に制御しうるまったく新しい光遺伝学ツールです。LTDは小脳だけでなく、他の脳領域においても普遍的に起きるため、今後、PhotonSABERを用いることにより、小脳以外の様々な脳領域でのLTDと各脳領域が担う記憶・学習過程の因果関係に迫れるものと考えられます。また、PhotonSABERの応用は、アルツハイマー病、アンジェルマン症候群、脆弱性X症候群など、LTDの異常が報告されている様々な精神・神経疾患の臨床応用にもつながることが期待されます。将来、PhotonSABERが記憶・学習の全貌を照らし出すための強力な「武器」になるかもしれません。

【用語解説】

(注1)エンドソーム
細胞内小器官の1つで、細胞内に取り込まれた様々な物質の選別・分解・再利用など を制御する。エンドソームは形態的および機能的な特徴をもとに、初期エンドソー ム・後期エンドソーム・リサイクリングエンドソームに大別される。

(注2)プロトンポンプ
生物体内でエネルギーを利用してプロトンを能動輸送し、生体膜の内外に膜電位やプ ロトン勾配を作り出すタンパク質複合体。ASR変異体はプロトンを受動輸送させ る性質を有する。

(注3)OKR学習
頭部を固定したマウスの回りで市松模様のスクリーンを水平方向に往復させると、マ ウスは反射的にスクリーンを追従する。この反射は視運動性眼球反射(optokinetic Response:OKR)と呼ばれるが、スクリーンを長時間往復させると、マウスはより大 きくスクリーンを追随できるようになる。このOKR学習は小脳依存的運動学習の1 つとして解析されている。

参考文献

Optogenetic Control of Synaptic AMPA Receptor Endocytosis Reveals Roles of LTD in Motor Learning.
Kakegawa W, Katoh A, Narumi S, Miura E, Motohashi J, Takahashi A, Kohda K, Fukazawa Y, Yuzaki M, Matsuda S.
Neuron. 2018 Sep 5;99(5):985-998.e6. doi: 10.1016/j.neuron.2018.07.034. Epub 2018 Aug 16.

左より、柚﨑通介(生理学教室教授)、筆者(同准教授)、松田信爾(電気通信大学准教授)
(生理学Ⅰ教室にて撮影)

最終更新日:2019年2月1日
記事作成日:2019年2月1日

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