研究の背景
前障は、ヒトを含む哺乳類の大脳皮質の深部に位置する薄いシート状の領域です(図1)。小さな領域にもかかわらず、大脳皮質のほぼ全ての領域を含む多くの脳部位からの入力を受け、逆にほぼ全ての大脳皮質領域に出力する一方で大脳皮質以外の脳部位にはほとんど出力しないというユニークな解剖学的特徴を有しています。
例えば、自らの考えや行動を制御する前頭前皮質や、身体内部の感覚を意識化させる島皮質など広範な領域と神経回路を形成しています。これらの特徴から前障の機能として、「注意の割り当て」や「意識の調節」など多くの仮説が提唱され、注目を集めてきました。高次脳機能を司る重要な領域と考えられますが、未だ解明されていないことの多い領域です。
図1.マウス脳における前障の位置
脳を構成する神経細胞の多くは、脳の最深部で誕生した後、脳表面へと移動し、最終的に正しい場所に配置されます。しかし、前障が形成される過程で、神経細胞がどこで生まれてどのように移動し、適切に停止して前障を作っていくのかについては分かっていませんでした。
研究の内容と成果
今回の研究では、マウスの前障が形成される過程を明らかにするため、前障を構成する神経細胞を蛍光色素で光るようにし、その動きを調べました。その結果、脳の深部で生まれた前障の神経細胞は、いったん脳の表面に達したあと、移動方向を反転させて脳の深部に向かうと想像される様子が観察されました。
そこで、以前に私たちの研究グループが開発した簡便な遺伝子導入法である子宮内電気穿孔法(注1)を用いて、マウス胎児の神経細胞に蛍光タンパク質を発現する遺伝子を導入しました。そして、前障を含む脳の組織を培養し、蛍光ラベルされた一つひとつの細胞の移動の様子を動画で撮影しました。その結果、前障の神経細胞は、まず脳の表面へと移動しましたが、途中にあるはずの最終目的地(将来前障が形成される場所)では停止せず、その目的地を一度通過することが分かりました。その後、いったん脳の表面に達したあと、今度は移動方向を反転させ、脳の深部へと逆向きに移動して、最終目的地に配置されました(図2)。脳の表面に向かって移動していた神経細胞が、その移動方向を完全に反転させて脳の深部に向かう移動は、これまでに報告されたことがない特徴的な現象でしたので、新たに「反転移動」と命名しました。
図2.前障が形成される過程における神経細胞の移動の模式図
次に私たちは、リーリン(注2)という分子を欠損したマウスを用いて、リーリンの前障形成における役割について検討しました。その結果、リーリンを欠損したマウスでは、前障神経細胞が通常と比べてより脳表層側に配置されることが明らかになりました。この結果から、前障神経細胞が正しく移動し適切な位置に配置されるためには、リーリンが必要であることを見出しました。
今後の展望
今回の研究で、前障の形成過程で神経細胞が正しく配置する様式や仕組みが明らかになりました。脳の形成過程における神経細胞の配置の異常は、多くの疾患と関連することが知られています。また前障の機能障害は、統合失調症やてんかんなどの精神・神経疾患につながる可能性が近年示唆されています。したがって、今回の研究は、そのような精神・神経疾患の病態理解に新たな道を開くことが期待されます。
【用語解説】
(注1)子宮内電気穿孔法
私たちの研究グループが以前開発した、簡便な遺伝子導入技術(Tabata and Nakajima. Neuroscience, 2001)。任意の遺伝子をマウス胎児の脳の任意の場所と時期に導入することができる。
(注2)リーリン
脳の発生過程において、脳の最表層から分泌され、神経細胞の配置を制御すると考えられているタンパク質。成体でのシナプスにおける機能なども報告されている。
参考文献
A Unique "Reversed" Migration of Neurons in the Developing Claustrum.
Oshima K, Yoshinaga S, Kitazawa A, Hirota Y, Nakajima K*, Kubo KI*. (*共同責任著者)
J Neurosci. 2023 Feb 1;43(5):693-708. doi: 10.1523/JNEUROSCI.0704-22.2022.
左より:仲嶋一範(解剖学教室教授)、大島鴻太(同教室共同研究員、論文発表当時 医学部6年)
最終更新日:2023年6月1日
記事作成日:2023年6月1日