研究の背景と概要
妊娠は、受精卵(胚)が子宮内に接着し進入していく着床という現象から始まります。着床では、胚も子宮も刻一刻とその様相や機能が変化していきます。子宮内では、様々な生命物質がお互いに協調しながら、ダイナミックな着床現象を支えます。このダイナミズムに加えて、着床は子宮内というブラックボックスで起きている現象であり、アプローチの難しさもあって、着床の仕組みは十分には解明されていません。体外受精などの生殖補助医療(ART:Assisted Reproductive Technology)の進歩により、受精障害を原因とする不妊症の治療成績は劇的に改善しましたが、着床障害による不妊症にはいまだに有効な治療はありません。ARTの妊娠率・生産率が現在頭打ちになっている1つの原因に着床障害があります。刻一刻と変化していく着床現象の研究と着床障害の治療には、時間的にも場所的にもピンポイントで解析・コントロールする技術が必要とされます。
本研究では、青色光照射とゲノム編集を組み合わせることにより、ピンポイントにマウスの着床・妊娠をコントロールすることに成功しました。
研究の成果と意義・今後の展開
着床現象を支える物質のなかで、私たちは着床に必要不可欠な白血病阻止因子(LIF:Leukemia Inhibitory Factor)を光遺伝操作のターゲットにしました。その光遺伝操作は、共同研究者の佐藤守俊教授(東京大学)らのグループが開発した光で活性化するCas9タンパク質(光Cas9)を用いることにより可能になりました(図1)。
図1. 光Cas9によるゲノム編集の原理 (Nihongaki, et al., Nat Biotech, 2015)
DNA切断酵素であるCas9タンパク質は、ガイド RNAと共にDNAに結合し、そのDNA配列を部位特異的に切断することで、遺伝子破壊や遺伝子置換などゲノムを自在に編集することができます。佐藤教授らは、Cas9タンパク質を2つに分割して失活させたうえで、青色 LEDによる青色光を照射することで2分割された Cas9蛋白質が合体して活性化するシステムを作りました。このように青色光を照射すると合体して活性化する一方、青色光をオフ にすると2分割して失活することになります。すなわち、光のオンオフでゲノム編集を自在に行うことが出来るわけです。
このシステムを用いて本研究で行った実験の流れと結果の概要を図2に示します。雄マウスと交配させた雌マウスに、LIF遺伝子を標的とするシングルガイドRNA(sgRNA)と光Cas9の遺伝子を導入します。交配後 3.5日目にこの雌マウスの全身(主に腹部)に青色光を照射すると、光Cas9のゲノム編集により子宮でのLIF遺伝子が壊されてLIF蛋白が低下し、そのために着床が起きずマウスは妊娠しませんでした。このマウスは、青色光を当てなければLIFに影響を及ぼさず普通に着床が起きて妊娠します。 また、LIF遺伝子を標的としないsgRNAと光Cas9を導入した雌マウスには青色光を照射した場合でも、LIFに影響を及ぼさず通常どおりに着床が起きて妊娠します。さらに、青色光照射によりLIFが低下した不妊マウスの子宮に、新たにLIF蛋白を投与すると、ほぼ元通りに着床が起きて妊娠するようになりました。
図2. 光ゲノム編集技術を用いた着床・妊娠のコントロール. sgRNA: ガイドRNA
このように、狙った場所とタイミングで光を当てることにより、子宮内の生命物質の働きをコントロールできたことから、本システムは着床障害などの不妊症の治療、着床をブロックすることによる避妊、あるいは子宮内での胎児治療など、新しい様式の生殖治療の開発につながることが期待されます。また、本システムは、刻一刻と変化する着床現象において、自由自在なタイミングで光照射をして生命物質の変化を起こすことができることから、着床現象をダイナミックに解析できる研究ツールとしても有用性があると思われます。
【用語解説】
(注1)青色LED
青色発光ダイオードの略であり、電流を流すことで青色を発光する半導体素子の一種。
この開発に対して、2014年ノーベル物理学賞が授与された。
(注2)ゲノム編集
部位特異的なヌクレアーゼ(切断酵素)を利用して、染色体上の特定の場所にある遺伝子配列を狙い通りに改変する技術。この切断酵素のなかで最も用いられている
CRISPR/Cas9の発見に対して、2020年ノーベル生化学賞が授与された。
参考文献
Optogenetic regulation of embryo implantation in mice using photoactivatable CRISPR-Cas9.
Takao T, Sato M, Maruyama T.
Proc Natl Acad Sci U S A. 2020 Nov 17;117(46):28579-28581. doi: 10.1073/pnas.2016850117. Epub 2020 Nov 2.
左より:責任著者の丸山哲夫(産婦人科学教室准教授)、筆頭著者の高尾知佳(同共同研究員)
最終更新日:2021年5月6日
記事作成日:2021年5月6日