体内で低酸素に対する応答反応が制御されるしくみ
細胞が必要とする酸素の需要量よりも供給量が下回った「低酸素環境」に直面した細胞では、低酸素応答とよばれる生体防御システムが活性化しますが、その低酸素時に必要となる遺伝子の多くは、HIF(注1)と呼ばれる転写因子(遺伝子の発現を制御する蛋白質)によって誘導されます。酸素が十分利用できる環境では、HIFはアミノ酸のひとつであるプロリンを水酸化する酵素PHD2(注2)によってその機能が抑えられていますので、逆にこのPHD2の機能を抑えると、酸素の有無に関係なくHIFが活性化して低酸素応答を引き起こすことが可能となります。
PHD2の酵素活性が低下すると、低酸素応答が活性化し、細胞は嫌気解糖と呼ばれる代謝システムによってエネルギーを産生しようとするため、その結果大量の乳酸が細胞から血中に放出されます。これはすなわち、もし全身の細胞でPHD2の機能が抑えられると、全身の細胞から血中に乳酸が放出され、生体は乳酸アシドーシス(血中乳酸値が上昇する致死的な状態。詳細は注3参照)に陥ってしまうことを意味しています。ところが、全身の細胞でPHD2遺伝子を破壊したマウスにおいては、血中乳酸値は上昇するどころか対照群と比べてむしろ低下していることが分かりました。
肝臓内での低酸素応答が乳酸代謝に与える影響
乳酸の体内動態の観察対象として肝臓に着目
乳酸は腎臓から尿中へ排泄されるか、もしくは肝臓で代謝されます。PHD2遺伝子を破壊したマウスと正常マウスでは、尿中乳酸濃度には差が無かったので、血中の乳酸を取り込む機能が活発である肝臓に着目しました。
筋肉などの細胞に取り込まれたブドウ糖の一部は乳酸へと代謝されて血中に放出され、血液の流れに乗って肝臓に運ばれ、肝細胞に取り込まれてブドウ糖に変換(糖新生)され、再び血流に乗って筋肉などで利用されて、そこでまた乳酸が産生される、というリサイクル回路(コリ回路)の存在が古くから知られています。我々は低酸素応答が肝臓におけるコリ回路の機能を活性化させ、肝臓への乳酸取り込みが促されることで血中の乳酸値の低下に貢献できるのではと考え、酸素濃度センサーであるPHD2遺伝子を肝臓でのみ破壊し、肝臓においてのみ低酸素応答を活性化したマウスを作製し、肝臓における低酸素応答が全身の乳酸の代謝に与える影響を観察しました。
肝臓でPHD2が機能しないようにすることが乳酸の浄化能力に寄与
その結果、肝臓において低酸素応答を活性化したマウスにおいては、致死量の乳酸を腹腔内に投与しても、対照群である正常マウスと比較して血中乳酸値は有意に低値でした (図1)。また、血液は酸性(アシドーシス)には傾かずに中性を維持しており、マウスの生存率も劇的に改善することが明らかになりました (図2)。
図1.肝臓におけるPHD2不活性化による乳酸浄化能力の向上
肝臓の細胞でPHD2遺伝子を破壊したマウスは対照群と比較して、致死量の乳酸を腹腔内に投与した後の血中乳酸値が有意に低値となった。このことから乳酸の浄化能力が高まったことが分かった(参考文献より一部改変)。
図2. 肝臓におけるPHD2不活性化による致死的乳酸負荷後の生存率の劇的な改善
肝臓の細胞でPHD2遺伝子を破壊したマウスは対照群の通常のマウスと比較して、致死量の乳酸を腹腔内に投与した後の生存率が有意に高いことが分かる(参考文献より一部改変)。
PHD2阻害剤が敗血症モデルマウスの生存率を改善
乳酸アシドーシスは、敗血症などの重篤な疾患などに合併し、生命予後を悪化させる大変危険な病態です。そこで本研究グループは、致死量の細菌内毒素(LPS:リポポリサッカライド)を投与して作製した敗血症モデルマウス(注4)に、PHDの阻害剤を経口投与しました。その結果、PHD阻害剤を経口投与したマウス群においては、正常マウスと比較して血中乳酸値の上昇が認められず、かつマウスの生存率の著明な改善が確認できました (図3)。経口投与された薬剤は、消化管から吸収されて門脈を経由してまず肝臓に作用するため、この研究結果は肝臓における低酸素応答をPHD阻害剤などで活性化すると、血中乳酸値を低下させることができることを意味しています。
図3. 経口PHD阻害剤による敗血症モデルマウスの治療モデル
致死量の細菌の内毒素 (LPS)を投与して作製した敗血症モデルマウスに対照薬あるいはPHD阻害剤 (GSK360A)を経口投与したところ、PHD阻害剤を投与した群で有意な生存率改善が確認できた(参考文献より一部改変)。
おわりに
心筋梗塞などの虚血性疾患や重症感染症など、集中治療室で治療を受けるような重篤な疾患の治療成績は、血中乳酸値と逆相関することが知られており、これらの病態の治療には乳酸アシドーシスを軽減させるような治療法の開発が必要となります。本研究成果は、肝臓におけるPHDを介した低酸素応答を標的とする全く新しい乳酸アシドーシスの治療法を提唱するものです。PHDを阻害する薬剤は、腎不全患者における貧血に対して現在臨床治験中であり、安全性などは既に確認されているため、今後、PHD阻害剤を用いた治療によって各種重症疾患の治療成績低下の原因となっている乳酸アシドーシスが軽減されることで、治療成績が改善することが期待されます (図4)。
図4.低酸素応答による肝臓内コリ回路の活性化
PHD阻害剤によって肝臓での低酸素応答を活性化させると、血中の乳酸を肝細胞に取り込み、そこからブドウ糖を合成(糖新生)し、新たに合成されたブドウ糖を血中へと戻すという「コリ回路」の肝臓内での機能が活性化すことが証明された。血中乳酸値を直接低下させることが出来るため、各種病態に随伴する乳酸アシドーシスの治療法への応用が期待される(参考文献より改変)。
【用語解説】
注1)HIF: hypoxia-inducible factor
α(HIFα)とβ (HIFβ/ARNT)の2つのサブユニットが結合してヘテロ二量体を形成することで機能する、低酸素環境で必要な遺伝子群の転写を司る転写因子。HIFβ/ARNTは1つの遺伝子しか同定されていないが、HIFαは哺乳動物ではHIF1α、HIF2α、HIF3αの3つの遺伝子が同定されており、発現している臓器・転写ターゲット・転写活性がそれぞれ異なる。
注2)PHD: prolyl hydroxylase domain-containing protein
アミノ酸プロリンを水酸化する酵素。酵素活性に酸素や鉄を必要とする。正常酸素濃度環境下では、転写因子HIFのα-サブユニット(HIFα)の特定のプロリン残基を水酸化して蛋白分解へ導くことによって低酸素応答を抑制している。酸素濃度が低下するとPHDの酵素活性が低下するため、HIFαはプロリンの水酸化を介した蛋白分解を免れて蛋白発現量が急激に増加し、HIFβ/ARNTと結合して低酸素環境下で必要な遺伝子群の転写を活性化する。すなわち、PHDはHIFを介した低酸素応答のオン・オフを決定するスイッチ役として機能する「細胞内酸素濃度センサー」である。3つあるPHD遺伝子のうち、生体内ではPHD2が主要なHIFαのプロリン水酸化酵素である。
注3)乳酸アシドーシス
血中乳酸値が5 mM以上に上昇し、動脈血のpHが7.35未満にまで低下して血液が酸性に傾き、様々な臓器障害を引き起こす致死的な病態である。敗血症などの重症感染症にしばしば合併し、患者の生存率を低下させる重要な予後規定因子である。
注4)厳密にはエンドトキシンショックのモデルなのだが、解りやすくするために敗血症と表記した。
参考文献
Inhibition of the oxygen sensor PHD2 in the liver improves survival in lactic acidosis by activating the Cori cycle.
Suhara T, Hishiki T, Kasahara M, Hayakawa N, Oyaizu T, Nakanishi T, Kubo A, Morisaki H, Kaelin WG Jr, Suematsu M, Minamishima YA.
Proc Natl Acad Sci U S A. 2015 Sep 15;112(37):11642-7. doi: 10.1073/pnas.1515872112. Epub 2015 Aug 31.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4577207/
後列左から:久保亜紀子、寅丸(小柳津)智子、早川典代、菱木貴子
前列左から:壽原朋宏(麻酔学教室助教)、南嶋洋司(論文執筆時:医化学教室特任講師、現九州大学生体防御医学研究所特任准教授)
※いずれも参考文献の共著者
最終更新日:2016年7月1日
記事作成日:2016年6月1日