概要
頭蓋骨は、ヘルメットのように脳を上から包むように保護している頭蓋冠と、脳の底を支えている頭蓋底に分けられます。この頭蓋底に発生する、良性も悪性も含めた様々な腫瘍を頭蓋底腫瘍といいます。モデルの頭蓋冠をはずして上から観察したところで、脳の表面が見えています。脳の表面に発生した腫瘍を手術する場合には、頭蓋骨をはずせばすぐに腫瘍に到達できることが分かります(図1)。
図2は、脳も全てとりはずして上から観察したところで、頭蓋底がよく見えます。白い紐のような構造は脳から頭蓋骨の外へ出て行く種々の脳神経です。また、脳の動脈や静脈も頭蓋底を通過しますが、それぞれ、赤色、青色で示される構造で観察できます。脳と脊髄をつなぐ脳幹も含めて、きわめて重要な神経、血管が通過する場所が頭蓋底なのです。この頭蓋底に発生した腫瘍は、脳が全くない図2のような状態であればよく観察できます。
しかし、実際に手術を行うとなると、脳をとってしまうわけにはいきません。図3左のように脳を強く引いて上から頭蓋底を観察しようとすると、脳がダメージを受けるだけでなく、観察するスペースも狭く、重要な頭蓋底の構造を確認することが難しくなります。しかし、図3右の図のように頭蓋骨を底部まで削り、視線を低く下げて、脳を引かないでも頭蓋底が観察できるようにすれば、脳のダメージも最小限で済みますし、視野も広くとることができます。
図4は頭蓋底腫瘍を手術する時の概念を示しています。脳を破壊しながら腫瘍を取り除いても、後遺症が出る危険性が高いだけではなく、腫瘍の発生母地を残してしまうので再発の可能性が高くなります。しかし、頭蓋底側から脳を破壊することなく腫瘍を取り除けば、後遺症が出る可能性も低くなりますし、腫瘍の発生母地も処理できるので再発の可能性も低くなります。良性腫瘍であれば、外科的に腫瘍を全て摘出することにより、根治が望めるのです。
しかしながら、頭蓋底腫瘍の場合は、大切な神経、血管などとの関係から、頭蓋骨をやみくもに削ればよいというわけにはいきません。また、腫瘍が周りの構造と強く癒着していれば、やはり無理に摘出することはできません。しかも、頭蓋底は頭蓋骨をへだてて、顔面、脊椎、と接しているため、脳神経外科、耳鼻咽喉科、眼科、整形外科、歯科口腔外科の境界領域でもあります。腫瘍摘出後の頭蓋骨など正常組織の欠損に対する再建には、形成外科的治療が必要となる場合もあり、複数の診療科が協力して、治療を行う場合も多くあります。さらに悪性腫瘍の場合には、放射線治療医、抗がん剤の専門医などの協力も必要になります。このような、解剖学的にも臨床的にも複雑な頭蓋底領域の治療ですが、我が国では、脳神経外科、耳鼻咽喉科(頭頚部外科)、形成外科が中心となって、世界に先駆けて、日本頭蓋底外科学会が組織され、約30年の歴史があります。我が国の頭蓋底外科の技術レベルは、世界のトップレベルであるといっても過言ではありません。
頭蓋底腫瘍の場合、治療は限られた施設で行われているのが現状ですが、特殊な腫瘍であり、発生部位によって臨床症状も多種多様なので、なかなか一般には理解がされていません。患者さんもご自分で診断することは困難で、クリニックや一般の病院で診断された場合、多くは、頭蓋底外科を専門とする医師のいる病院に紹介されることになり、それぞれの病状に合った治療を受けることになります。頭蓋底腫瘍が発見されたとしても、腫瘍の発生部位、性質(良性、悪性)、発育速度、症状の有無などによってはすぐに治療が必要とは限りません。定期的な経過観察を選択する場合もあります。良性腫瘍では、手術のみで治癒できる場合もありますし、悪性腫瘍でも、治療の第一段階は外科的治療であることがほとんどです。以下に多種多様な頭蓋底腫瘍の代表的な例をご説明します。
神経鞘腫(しんけいしょうしゅ)(シュワン細胞腫)
神経鞘腫(シュワン細胞腫)については、脳腫瘍の項で詳しく記載されています。正確な名称はシュワン細胞腫であり、この呼び名で統一されつつありますが、一般向けの医学書では神経鞘腫という名称がまだ多く用いられています。
頭蓋底の神経鞘腫は、頭蓋骨を貫通して頭蓋外に出ていく脳神経から発生します。そのため、腫瘍も頭蓋内にとどまらず、頭蓋底の骨を貫通して、頭蓋外にも進展することが多くあります。図5は三叉神経から発生した神経鞘腫(黄色△)が、頭蓋底の孔を拡大させて(黄色→)頭蓋外に進展している様子(橙色△△)を示しています。このような腫瘍に対して、頭蓋底の高さまで頭蓋骨を外し、さらに、頭蓋底の骨を削って頭蓋外に進展した腫瘍を切除する頭蓋底外科の技術が応用されます。術後のMRIで腫瘍が全摘出されているのが分かります。
神経鞘腫は、左右十二対の脳神経のいずれからも発生し得るのですが、聴神経の一部で平衡感覚をつかさどる前庭神経由来が最も多く、大部分は聴力障害で発見されます。顔面の知覚神経である三叉神経、喉や自律神経も含む舌咽神経、迷走神経から発生する場合も多く、これらの神経から発生した場合には頭蓋内外に及ぶ複雑な腫瘍を形成することがあります。このような腫瘍こそ頭蓋底外科の技術を駆使した手術の適応となります。
髄膜腫(ずいまくしゅ)
髄膜腫についても、脳腫瘍の項で詳しく記載されています。髄膜腫は脳を覆う髄膜から発生する腫瘍で、大部分は良性腫瘍です。図6は小さな髄膜腫(黄色△)の症例ですが、髄膜腫の特徴として、黄色→に示した様に頭蓋骨に浸潤する傾向があり、時には、頭蓋外にも進展し(橙色△△)、頭蓋底の高さまで頭蓋骨を外し、さらに、頭蓋底の骨(斜線部)を削って頭蓋外に進展した腫瘍を切除する頭蓋底外科の適応となります。
頭蓋底部の髄膜腫は、神経、血管などと容易に剥離できる場合もありますが、強く癒着していて剥離不可能な場合もあります。頭蓋底外科の手術手技を駆使することにより、到達できない場所はほとんどなくなっていますが、髄膜腫の場合には必ずしもすべて摘出できるとは限りません。現在では、頭蓋底髄膜腫の治療方針は、安全に摘出できれば全摘を目指しますが、脳の大切な部位、血管、神経に癒着が強く、意識障害、運動麻痺、言語障害などの重篤な合併症が予測される場合には、無理な摘出はせず、病理診断、手術後の経過などを総合的に判断して、ガンマナイフなどの定位的放射線治療を考慮するという治療方針が、標準的な考え方となっています。図7で示したのは、巨大な頭蓋底中央部に発生した髄膜腫のCT画像です。この腫瘍に対して、慶應義塾大学で考案し発展させた、脳神経と脳神経の隙間から頭蓋骨を削って頭蓋底にアプローチする方法(図8)を用いて手術を行いました。摘出が可能な範囲は全て除去されていますが、後遺症が出る可能性がある場所は無理せずに残してあり、その部分は術後に放射線治療を行いました。現在4年経過して再発は全く見られませんし、患者さんにも後遺症はありません。
脊索腫(せきさくしゅ)、ほか
頭蓋底腫瘍には、胎児期にみられる脊索と呼ばれる遺残組織から発生する、脊索腫という腫瘍があります。脊椎や、頭蓋底の骨、軟骨近傍から発生し小児にも成人にもみられます。脳神経外科領域では、斜台という喉の奥の頭蓋骨から発生する場合が多く、喉が腫れる、眼球を動かす神経を圧迫して物が二重に見えるなどの症状で発症します。治療は外科的摘出で、頭蓋底外科の貢献した腫瘍の一つです。頭蓋骨を開く通常の手術以外にも、腫瘍の部位によっては形成外科との合同チームで口の中からアプローチする方法で摘出したり、最近は、耳鼻科との合同チームで鼻から内視鏡で手術をしたりすることが増えてきました(図9)。
しかしながら、完全に摘出できるとは限らず、再発の多い腫瘍でもあります。抗がん剤は、ほとんど効果はありませんが、放射線治療は多量に照射すれば有効であることが分かっています。重粒子線による治療が試験的に行われていますし、最近普及してきた、強度変調放射線治療 (IMRT)などは、局所に高線量の照射ができますので、脊索腫の手術後の補助療法として期待されています。
頭蓋底部には、以上の腫瘍以外にも軟骨肉腫、血管周皮腫、扁平上皮がんなど、様々な腫瘍が発生するだけではなく、腫瘍以外の腫瘤性病変もみられます。時には、リンパ腫などの血液系の腫瘍が発生する場合もあり、治療には血液内科(腫瘍内科)の協力が必要な場合もあります。
慶應義塾大学病院での取り組み
当院では、伝統的に頭蓋底外科手術手技の開発に取り組んできました。図8でお見せした慶應義塾大学オリジナルの手術に加え、頭蓋底の髄膜構造を利用して髄膜で脳を保護しながら腫瘍を付着部ごと全摘出する手術、術前評価に基づいた静脈温存を徹底した手術、耳鼻咽喉科、眼科、歯科口腔外科、形成外科との合同チームで行う手術などを駆使することで、頭蓋底腫瘍のほとんど全ての手術が安全に施行可能となってきています。腫瘍の性質によっては外科手術のみで完治しますが、一方でどうしても全摘できない、あるいは、無理に摘出してはいけない腫瘍もあり、良性腫瘍でも残存腫瘍がある場合や、悪性腫瘍の場合には、当院放射線科、あるいは他施設に依頼して、個々の症例に応じた適切な放射線治療を行っています。
他の病院で治療不可能と言われた症例も、豊富な経験と知識に裏付けられた頭蓋底外科の手術手技を駆使した積極的な治療を行っています。
他の病院で治療不可能と言われた症例も、豊富な経験と知識に裏付けられた頭蓋底外科の手術手技を駆使した積極的な治療を行っています。
手術リスクを十分に検討した上で、手術にとらわれることなく、症例ごとに最善の治療法を選択しています。
文責:
脳神経外科
最終更新日:2018年3月23日