概要
これまで、がんの進行や治療によって受けた身体的・心理的なダメージに対し、積極的な対応が行われることは、ほとんどありませんでした。医療従事者にしても、患者さん自身にしても、「がんになったのだから仕方がない」というあきらめの気持ちが強かったからです。しかし、がんやその治療によって、様々な障害が生じると、家庭生活や学校や仕事復帰にあたって大きな障害となり、生きることの質(QOL)は低下してしまいます。
障害には、脳や脊髄の腫瘍による手足の麻痺、舌やのどのがんにより、話すことや食べ物を飲み込むことの障害、乳がんの術後の肩の運動障害、腕のむくみ、子宮がんの術後の足のむくみ、抗がん剤や放射線治療で安静が続くことによる手足の筋力や体力の低下、骨や筋肉のがんによる歩行障害などが挙げられます。これらの障害に対して様々なリハビリテーション(以下、リハビリ)を行うことで、患者さんの回復力やQOLを高め、できるだけ早く家庭や社会に復帰することが可能です。これが、がんのリハビリの大きな役割です。
米国では、1970年代からリハビリの分野でもがんを専門的に扱うようになり、今日ではがん治療の重要な一分野として認識されています。米国の有名ながん専門病院であるMDアンダーソンがんセンターでも、リハビリ科は独立した科としてがん治療における重要な役割を担っています。しかし、我が国では今までがんセンターなどの高度がん専門医療機関において、リハビリ科専門医が常勤している施設は皆無であり、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士もごくわずかでした。この状況は、ちょうど米国で30年前に、がんのリハビリが始まった頃と似ています。
治療
がんのリハビリテーションの実際
リハビリのかかわり方は、がん自体による局所・全身の影響、治療の副作用、安静にしている期間や悪液質(がんの進行による全身の衰弱した状態)に伴う身体障害に大きく左右されます。がん専門病院では多くの場合、がんに対する治療とリハビリが平行して行われます。リハビリ科医師・療法士をはじめとしたリハビリ関連職種は、治療担当科の医師、病棟スタッフとカンファレンスなどを通じて、十分にコミュニケーションを図り、情報を日々共有することが大切になります。また、治療に伴う様々な副作用でリハビリが中断することもしばしばみられます。病状の変化により臨機応変に対応することが必要です。表1に示しますように、予防、回復、維持、緩和と、がんの治療のいずれの段階においても、がんのリハビリは役割を担っていることが分かります。以下、具体的なリハビリの内容をご紹介します。
表1. がんのリハビリテーションの分類 (Dietzの分類)
- 脳腫瘍(脳転移)による片麻痺、失語症など
脳腫瘍、脳転移による片麻痺、失語症では、脳卒中や頭部外傷と同様に、機能回復、社会復帰を目的としてリハビリを行います。再発や腫瘍の増大に伴い、神経症状が悪化しつつある症例では、意識状態や神経症状の変動に注意しながら、維持的もしくは緩和的な対応を行います。 - 脊髄腫瘍(脊髄・脊椎転移、髄膜播種)による四肢麻痺、対麻痺
原発性もしくは転移性の脊椎、脊髄腫瘍による四肢麻痺、対麻痺では、原発巣や他臓器転移に対する治療に配慮しつつ、外傷性脊髄損傷のプログラムに準じて行います。再発や腫瘍の増大に伴い、神経症状が悪化しつつある症例については、全身状態や症状をみながら短期的なゴールを設定し訓練を進めます。 - 造血器のがんによる全身性の機能低下
白血病や悪性リンパ腫、多発性骨髄腫などの造血器のがんに対する造血幹細胞移植では強力な化学療法や全身放射線照射に伴う副作用や合併症により、ベッド上安静による不動の状態となる機会が多く、廃用症候群に陥りやすくなります。また、隔離病棟で入院期間も長期にわたるため、抑うつや孤立感を生じることから、それらの予防を目的とした訓練プログラムが発展してきました。訓練プログラムは柔軟運動、軽負荷での抵抗運動、自転車エルゴメータや散歩のような有酸素運動を取り入れ、体調に合わせて実施します。 - 全身性の機能低下、廃用症候群
悪液質は、がんの進行により全身が衰弱した状態です。腫瘍壊死因子などの物質が、骨格筋の蛋白を減少させるため、筋萎縮や筋力の低下が生じます。さらに、治療に伴う安静は筋骨格系、心肺系などの廃用をもたらし、日常生活のさらなる制限をもたらすという悪循環に陥ってしまいます。リハビリプログラムは全身状態や訓練目標により異なりますが、関節可動域訓練、筋力増強訓練から開始し、基本動作訓練から歩行訓練へと進めていきます。座位が安定し、歩行が可能である患者さんでは、自転車エルゴメータやトレッドミルのような有酸素運動も行います。体力、持久力に乏しい患者さんには、短時間で低負荷の訓練を頻回に行うようにします。 - 骨・軟部腫瘍術後(患肢温存術後、四肢切断術後)
下肢骨軟部腫瘍による患肢温存術後には、患肢完全免荷での立位、平行棒内歩行から両松葉杖歩行へと進めます。骨腫瘍による切断後では、通常の切断術後のリハビリと同様に、断端管理から義肢装着訓練・義足歩行訓練へと進めます。しかし、術後の化学療法によって訓練を中断せざるを得なかったり、断端体積に変動が起こりやすいので注意を必要とします。 - 骨転移
リハビリに際しては全身の骨転移の有無、病的骨折や神経障害の程度を評価し、骨折のリスクを認識することが重要です。歩行時は免荷の必要性に応じて、歩行器や杖を選択し、骨折のリスクに応じた歩行手段を習得させます。また、頚椎転移や腰椎転移には、不安定性や神経症状の有無などに応じて軟性もしくは硬性の頚椎や腰椎の装具を装着します。 - 乳がん術後の肩関節拘縮
乳がんの術後には、胸壁や腋窩(えきか)の切開部の疼痛と肩の運動障害が生じます。特に、腋窩リンパ節郭清 (腋の下のリンパ節を取り除くこと)が施行された患者さんでは、腋窩部の痛みやひきつれ感による肩の挙上困難を生じやすくなります。術後の肩関節可動域訓練は、創部のドレーンが抜去されるまでは原則として屈曲90度(腕が地面に水平)程度までの関節可動域訓練にとどめ、その後は、積極的に他動・自動関節可動域訓練を行うようにします。 - 乳がん・子宮がん手術後のリンパ浮腫
乳がん・子宮がん手術で腋窩(えきか)・骨盤内リンパ節郭清(かくせい)を行われた場合には、リンパ浮腫を発症する可能性があります。我が国における術後に発症するリンパ浮腫の発症率は、乳がん術後では約10%、子宮がん術後では約25%と推測され、年間1万人前後がリンパ浮腫に罹患すると推測されています。浮腫の治療法には、スキンケア、徒手リンパドレナージ、弾性包帯もしくは弾性ストッキングによる圧迫療法および圧迫下での運動を組み合わせた方法が効果的です。 - 頭頸部がん術後の嚥下・構音障害、発声障害
舌がんをはじめとする口腔がんの術後には、嚥下障害や構音障害を生じます。また、がんが中咽頭に及ぶと、嚥下の咽頭期の障害によって誤嚥を生じるおそれがあります。経口摂取開始の前にビデオ嚥下造影検査で評価し、必要に応じて嚥下訓練や食事指導を行います。訓練には脳卒中などの中枢神経疾患の手法を用います。
喉頭がんによる喉頭摘出術後には、発声不能となるため、代用音声を獲得するためのリハビリが必要となります。術後に頚部創が安定した後、まず導入が容易な電気喉頭から開始します。食道発声の習得には時間がかかるので、外来訓練に移行し、あせらずに訓練を継続するようにします。 - 開胸・開腹術後の呼吸器合併症の予防
開胸・開腹術の対象疾患は、心疾患を除いて、食道がん、肺がん、胃がんなど悪性腫瘍が大半を占めるので周術期の呼吸リハビリは重要となります。患者さんの不動化により生じる下側(荷重側)肺障害の発生を未然に防ぐこと、および開胸・開腹術の手術侵襲による術後の呼吸器合併症を予防し、肺胞換気を維持・改善し、早期離床を図る目的で術前から、呼吸法の指導と練習・排痰法の指導を行い、術後も早期から介入して離床を促します。 - 末期がん・緩和ケアのリハビリテーション
がんの進行とともに、QOLは低下し、やがて死を迎えます。過剰な治療はQOLを急速に低下させるばかりでなく、合併症により生命予後を縮める可能性もありますので、緩和ケアにおいては、同じ生命予後でもQOLの高い期間を長く保つことを目指します。緩和ケアのリハビリも緩和ケアの概念と同様であり、「余命の長さにかかわらず、患者さんとそのご家族の要望を十分に把握した上で、その時期におけるできる限り可能な最高の日常生活活動(ADL)を実現すること」にその目的は集約されます。具体的なリハビリの内容を表2に示しました。体の状態に応じてリハビリの内容は変更し、患者さん、その介護者の方が希望する限り介入を継続するようにします。
表2. 緩和ケアにおけるリハビリテーションの内容
生活上の注意
生存率が向上し、がん患者さんのQOLが求められるようになる中、リハビリの重要性は、さらに高まっていくでしょう。より高い効果を得るためには、患者さん自身がリハビリの必要性をよく理解し、がんと診断された直後から主治医と相談しながら、リハビリ・スタッフのサポートを積極的に受けていくことが大切です。 最後にまとめとして、「がんのリハビリ5カ条」をご覧ください。
慶應義塾大学病院での取り組み
悪性腫瘍(がん)は治療対象患者さんの3割を占め、主要な対象疾患となってきており、日々、がんのリハビリに取り組んでいます。特に、一般消化器外科(食道がん、乳がん)、血液内科(造血器腫瘍)、婦人科(リンパ浮腫)、形成外科(リンパ浮腫)、耳鼻咽喉科(咽頭がん、喉頭がん、頚部郭清術)、整形外科腫瘍班(骨軟部腫瘍、骨転移)、歯科口腔外科(舌がん)等と連携し、がん治療チームの一員としてリハビリ・スタッフが介入し、チーム医療を実施しています。
大学院では、がんプロフェッショナルコースの中にがんのリハビリ専門医・療法士養成コースが設置されており、がん医療におけるリハビリ科医師・療法士の育成にも力を入れています。
さらに詳しく知りたい方へ
- がんナビ(日経BP社)
- がんのリハビリテーション
- がんプロフェッショナル養成基盤推進プラン分野別委員会 サポーティブケア
- がんの療養とリハビリテーション(国立がん研究センター_がん情報サービス)
- がんのリハビリテーション研修(厚生労働省後援)
- がんのリハビリテーションガイドライン(日本リハビリテーション医学会)
- 癌のリハビリテーション / 辻哲也, 里宇明元, 木村彰男編
東京 : 金原出版, 2006.3 - がんのリハビリテーションマニュアル : 周術期から緩和ケアまで / 辻哲也編集
東京 : 医学書院, 2011.6 - 骨転移の診療とリハビリテーション / 大森まいこ, 辻哲也, 髙木辰哉編
東京 : 医歯薬出版, 2014.3 - がんのリハビリテーションベストプラクティス / 日本がんリハビリテーション研究会編
東京 : 金原出版, 2015.1 - がんのリハビリテーション / 辻哲也編集 ; 高倉保幸, 高島千敬, 安藤牧子編集協力
東京 : 医学書院, 2018.4
文責:
リハビリテーション科
最終更新日:2018年12月5日